My important place【D.Gray-man】
第44章 水魚の詩(うた)
「蓮華…蓮の花?」
「ああ。俺の視る世界全てに、残像として表れる。…一種の幻覚みたいなもんだ」
「…じゃあ今も…?」
「…ああ」
はらりと宙を音もなく舞う、薄い桃色の花弁。
雪の肩にゆっくりと落ちるそれに、右手を伸ばす。
だけど触れられない。
…"あの人"と同じだ。
確かにはっきりと視えているのに、手は届かないもの。
"神田、まだ花がみえるかい"
アルマをこの手で破壊して、あの人の為に教団へと入団した。
適合したイノセンスを六幻として日本刀に作り変えてもらい、それを取りにアジア支部に赴いた時。
あの爺さんに問われたんだ。
"囚われてはいかんよ、それは幻だ"
念を押すように、何度も言われた。
"その花は幻だ"
わかってる。
そんなこと、否応無しに理解できた。
俺自身の体だ、俺が一番よくわかる。
花の幻想に囚われることは、即ち移植された脳の記憶に縛られること。
爺さんは壊れた記憶に縋るなと言った。
思い詰めたような顔をしていたから、もしかしたら人造使徒計画で何か思い当たる節があったのかもしれない。
それはアルマのことか、はたまた…別の何かなのかは、知らないけれど。
きっと俺の為に言ったんだろう。
もう亡き生前の俺を追うのではなく、"神田ユウ"として生きろと言った。
何も応えなかった。
でもその時既に、俺の中で答えは出ていた。
そんなの無理だ。
唯一残されたこの幻想を断ち切るなら、アルマを破壊してまで生き延びた俺の存在理由はなくなる。
俺はあの人の為に死ねないと思ったんだ。
俺に"生きろ"と言うなら、唯一俺を歩ませるものを切り捨てる訳にはいかない。
最初は一つ二つ程度だった。
薄らと見えていた、幻覚だとわかる幻の花。
それが気付けば三つ四つと増えていった。
もう俺の視界には、足場を埋め尽くす程の幻想の蓮華が咲き乱れている。
"忘れるな"と主張するかのように。
"思い出せ"と焚き付けるかのように。