My important place【D.Gray-man】
第44章 水魚の詩(うた)
「それは……バ、」
「ば?」
「…ク、」
「く?」
「違う。バ……ベ…ベック、…なんとかってやつだ」
「何それ。全然わかんない」
どんどんと眉間の皺を濃くしながらも、神田が必死で搾り出した名前はあやふやなもの。
ひたすらに首を傾げ続ける雪にも伝わっていない。
「ベック…オルファ、とか、なんか、そういうやつだよ」
「…知らない。何、その料理」
「……お前が食べたいって言ったんだろ」
「?」
知らない料理を何故食べたいなどと言えるのか。
益々困惑する雪に対し、腕組みしたまま顔を背けるようにして神田は目を逸らす。
「フランス料理」
その口から出てきたのは、確かに雪が食べたかったと伝えたことのある料理だった。
(あ……憶えて、くれてたんだ)
任務先のパリで、一度も口にできなかったフランス料理。
一度くらいは食べてみたかったとパリ警察署の独房内でぼやく雪を、神田は呆れ顔であしらっていた。
そこで終了した何気ない会話だったのだが、神田はしかと記憶に刻んでいたらしい。
ほわりと、雪の心に宿る暖かさ。
「ありがとう」
「…別に。食べたいもんなら喉を通るかもしれねぇだろ。それだけだ」
「うん」
素っ気無い態度は照れを隠すようなもの。
そんな神田の些細な気遣いに、自然と雪の顔も綻んだ。
ほわり、ほわりと暖かみが増す。
神田がジェリーに頼んで作らせたフランス料理は、アルザス地方の郷土料理ベックオッファ。
白ワインに漬け込んだ、じゃがいもや玉葱や羊肉をオーブンで焼く料理。
勿論雪の知らない料理だったが、ほんのりとワインの爽やかな匂いの混じる香ばしい料理は興味を惹かせた。