My important place【D.Gray-man】
第44章 水魚の詩(うた)
「求めないのは、辛い思いをするのが嫌だから。結局それも臆病な私の心のままで。そこに勇気をくれたのは、ユウだった」
掌を包み込んでくる、小さな両手。
俯いていた雪の顔が上がる。
俺の掌から、真っ直ぐに俺自身へと向けられる顔。
淡々と感情の見えなかった声に色が宿る。
不安しか向けられなかった雪の心が、俺の目に形を成して映り込んだ。
「初めて、赤の他人を強く欲したの。初めて、自分より大切だって思えた」
両手で握った俺の手を、胸元へと引き寄せる。
「泣きたくなるくらい嬉しい思いも、触れてるだけで世界が変わって見える思いも、ユウが教えてくれたんだよ」
すんなりと雪が紡いだ言葉は、すんなりと俺の心に下りてきた。
───その感情を、俺は知ってる。
今俺の視界に在るのは、冷たい石で囲まれた独房。
その中心でぽつんとベッドに座っている雪が一人。
たったそれだけのことなのに、いつも視界に映り込んでいた蓮華の幻が霞んで見える。
…違う。
霞んじゃいない。
俺の視界には常に残されている。
片時も消えることのない、記憶の残像。
俺と"あの人"を繋いでいる唯一のもの。
ただそれが変わって見えているだけだ。
クリアな世界に変わって見えているだけ。
俺の目が、意思が、目の前の雪を求めているから。
それ以外のもんが少しだけ、置き去りにされてるだけだ。
「ごめんなさい…大事なこと、伝えられなくて。でも、自分がノアだってわかっても、絶望だけの日々じゃなかったのは…不安だけじゃなく笑っていられたのは…ユウがいてくれたから」
嗚呼そうか。
…雪も同じだったのか。
すんなりと納得した心に舞い込む雪の言葉が、俺の腐蝕した感情を取り払っていく。
「一人だけど、独りじゃなかったから。…だから今日まで、こうして教団で生きてこられた」
いつもより血色の悪い唇が、ふと柔らかい弧を描く。
「ありがとう」
それは確かな雪の素の笑顔だった。