第42章 ファウル
「こら、飛び込まないの!子供じゃないんだから!」
プハっ!と水面から顔を出した黄瀬は、クラゲのようにぷかぷかと漂う姿に堪らず噴き出した。
なかなか出てこなかったのは、更衣室でひとり真っ赤な顔をして、持参した浮き輪に空気を入れていたからなのだろうか。
「ぷ。結、もしかして泳げないんスか?」
「泳げますよ。じゅ、十メートルくらいなら」
「なんでこんなとこでも負けず嫌い発揮するんスか。でも、そっか……だからプール行くの渋ってたんだ」
ムッとした顔と膨らむ頬に、黄瀬は水面に半分隠した顔でブクブクと笑った。
クラゲにタコにフグ。
色々な表情を見せてくれる彼女は、次はどんな新しい顔を披露してくれるのだろう。
「今度、水族館行きたいっスね」
「水族館?」
「いやいや、何でもないっス。あぁ、それにしてもプールなんて久し振りかも。気持ちいっスわ……」
今日もハードな練習で棒のようになった足と、残暑の熱がこもる身体に、冷たい水が心地いい。
ふわりと背面で浮かび、腕だけでコントロールしながら近づいた結との距離を阻む浮き輪に、今度は黄瀬が口を尖らせた。
「も~、これ邪魔。結の初めての水着姿、もっと近くで堪能したいんスけど」
「出ました、変態発言」
「オトコなら普通っしょ。ホラ、泳げないからってそんな拗ねないで、こっちおいで」
「別に拗ねてませ……っ、うぎゃ!」
浮き輪越しに抱きしめた身体は、力をいれると壊れてしまいそうな脆さと、すべてを受け入れる柔軟さを兼ね備えて、腕にしっくりと馴染んだ。
それは、勝利に湧き立つ時も、敗戦にうちひしがれた時も、身体と心を満たしてくれるかけがえのない存在。
(もう、彼女なしじゃオレ……)
アップにした髪からこぼれる後れ毛を指でたどり、濡れた肌を飾る金の鎖をそっと絡めとる。
「黄瀬さん?急に大人しくなって……どうしたんですか?」
「へへ。何でもないっス」
あれほど刻んだキスマークはすっかり消えていた。
だが、そんなものに頼らなくても深く繋がっていられる……それは不思議な感覚だった。
(ま、虫除けは必要だし、やめる気はないっスけどね)
首筋の際どい場所に軽く吸いついて、淡い桜色に染まった肌を満足気に眺めると、黄瀬は腕の中の身体をそっと抱きしめた。