第40章 ストーリー
「おやすみ、結ちゃん」
「おやすみなさい」
彼の母親に見送られて、二階への階段を上るのは、もう何度目になるだろう。
まだ慣れそうにはないが、なんだか背中が擽ったい。
小さく鼻を啜り、結は、一足先に二階に上がった黄瀬の部屋の扉をノックした。
「どーぞ」という声に、今さらながらなんて大胆なことをしてしまったのかと、ふいに湧き上がる羞恥心に足が震える。
「し、つれいします……」
「遅かったね、待ちくたびれたっスよ。ナニ話してたんスか?」
「えっ、と……内緒です」
「ちょ、それ気になる……けど、今はこっちが先。ホラ、おいで」
すでにベッドに入っていた黄瀬の腕が捲りあげた布団の中に、結はもぞもぞと潜りこんだ。
「クーラー、効きすぎじゃないですか?少し寒い……」
「ん、了解っス。結に風邪ひかれたら、みんなにシバかれるからな~」
眠そうに間延びする声と、リモコンに手を伸ばす腕が耳をくすぐる。
ピッ、ピッと軽快な音を聞きながら、結は程よく筋肉がついた腕に自分の腕を絡めた。
「も~、またそうやってオレのこと焚き付けんのやめてくんないスか?ただでさえ今日は、結がココにいてくれるってだけで舞い上がってんのに……オレの忍耐力のなさは知ってるっしょ?」
弱々しく笑う黄瀬の頬にそっと触れる。
「知ってますよ」
「へ?」
「ずっと努力してきたことも、重圧すら力に変えて歯を食いしばって来た日々も、その才能故に苦しんできた心のうちも……」
最初、目を丸くして聞いていた黄瀬の表情が、言葉を紡ぐたびにくしゃりと歪む。
「私のことも、いつも全力で守ってくれて有難うございます。だから、今日は……今夜だけは、私に涼太を守らせてくれませんか」
「……結」
小さく震える身体を、結は全身で抱きしめた。
胸に擦りよってくる頭を掻きいだき、まだ生乾きの髪に頬を押しあてると、いつもと同じシャンプーの香りが日常に戻ってきたという安堵感をもたらしてくれる。
敗北の痛みは、そう簡単に和らぐことはない。
ただ、今だけは、穏やかな眠りに就いてほしい。
戦いの跡を残して乱れる髪をそっと撫で、そのやわらかさを取り戻すように、結は震える指を深く絡ませた。