第28章 マーキング
「結、こっち」
いくら全国区とはいえ、一介のモデルに個室が与えられるほどこの業界は甘くない。
周囲の視線から逃れるように飛びこんだ控え室が無人であることを確認すると、黄瀬は乱暴に扉を閉めた。
後ろ手でかけた鍵の金属音が、雑然とした部屋に響きわたる。
「なんでこんなトコ来たの?オレになんの相談もなく」
強い口調で問い詰めながら、ポカンと口を開けたままの恋人に諦めモードの溜め息をひとつ。
自分の置かれている状況を、彼女はいつになったら理解するのだろうか。
「聞いてる?」
「あ……ご、ごめんなさい」
「謝って欲しいんじゃなくて、オレはただ……」
『華やかに見えるこの世界だが、ただ見た目がいいだけじゃすぐにお払い箱だ。お前にその覚悟がないなら、チヤホヤされて気持ちいいうちに辞めるんだな』
通称レンと呼ばれているモデル事務所の先輩は、いい意味でこの業界の厳しさを教えてくれた、今では黄瀬が一目置く貴重な存在だ。
その辛辣な言葉は、本来負けず嫌いの彼の数少ない本気に火を着けた。
高校生になり、報酬の対価として求められるものは、確かに想像していたよりも厳しいものだった。
外見だけで気軽に入ってきた数多くの人間が、その個性を表現出来ないまま去っていく姿を横目で見ながら、黄瀬は彼なりの努力を惜しまなかった。
ウォーキングにポージング。
あくまでもメインディッシュは自分ではなく、その身に纏うファッション。
すでにモデルとして高い評価を受けていた蓮二から、黄瀬は多くのことを学んだ。
勿論、それは『模倣』ではなく、黄瀬自身から滲み出る個性をいかに魅せるかというテクニックだった。
『レンさん!』
『おう!リョータ、久しぶりだな。今日は撮影か?部活もちゃんと頑張ってンだろーな』
『へへ。オレ、今すんげぇ充実してるんスよ』
彼なりの努力を認めたのだろう。
意外にも面倒見のいい蓮二に、黄瀬が懐くのはあっという間だった。
『そっか。ガンバレよ』
『ハイ!』
頭をポンと叩いてくれる大きな手は、どこまでも優しかった。
(意味もなくこんなことするヒトじゃない……じゃ、何のために?)
黄瀬は、首にまとわりつくネクタイを解きながら、思考を切り替えるように頭を大きく振った。