第28章 マーキング
「その件はまた今度……ただ、彼女を現場に連れてくることだけはカンベンしてもらえませんか?」
「ン~?」
スタジオには、黄瀬涼太を狙うメス猫達が常にその長い爪を研いでいる。
伏魔殿とは言わないが、かなり危険な場所には違いない。
「あ〜なるほどね。じゃ、マズかったかな……」
どこか納得したような表情を浮かべながら、レンは顔にかかる髪を悩ましげにかき上げた。
「マズいって何のコト……」
その意味深な言葉を理解する前に、スタジオの隅に現れたシルエットに、黄瀬は撮影中ということも忘れて目を丸くした。
それは焦がれてやまない恋人の姿。
夢か現か幻か。
(結……っ!?)
黄瀬はその存在を確認するように、小道具の眼鏡を無意識に外していた。
「お、それいいね。そのまま口にくわえてみてよ」
「は、はい!」
指示された通りにツルの先端を口に含みながら、黄瀬の視線は不安げに周りを見回す結に釘付けだ。
隣に桃井がいることに気づいたのは、目が合った彼女がその背中に隠れたからだった。
「リョータ君〜!目線こっちね!」
「す、すいません!」
明らかに部外者のふたりを指さしながら、ヒソヒソと話すオンナ達の姿が黄瀬の広い視野に写りこむ。
戦闘体制に入った肉食獣の群れに、わずかに歪んだ口から小さな舌打ちがこぼれ落ちた。
「ふぅ〜ん……成程、ね」
背後から伝わってくる苛立ちの色に、レンは意味深な笑みを浮かべながら、うすい唇の端をぺろりと舐めた。
「ハイ、OKです!今からチェック入りま〜す!」
「……っ」
咄嗟に出そうになる名前を飲みこんで、黄瀬は駆け寄りたい衝動にブレーキをかけるように、こぶしを固く握りしめた。
レンはそんな後輩モデルの肩に腕を回すと、周囲の視線と存在感を引き連れ、長い脚で広いストライドを刻みながら、首から許可証をかけるふたりに迷いなく歩み寄った。
「ちょ、レンさん!」
「あのコ達は俺の知り合いなんですよ。すいません、ちょっと抜けますね〜」
黄瀬の動揺した声を上書きするようにスタッフに声をかけると、「おまたせ。じゃ、行こっか」と状況がつかめないという表情の来訪者もろとも、レンは広げた腕で廊下へと押し出した。