第82章 誰が為に鐘は鳴る
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手を伸ばす。
あの声を離したくなくて。
求めるように縋った掌は、強い手に捕まえられた。
「南…!」
声が呼ぶ。
少しだけ低い、優しい声ではない。
哀しみを含んだ、魂の嘆きでもない。
「しっかりしろ…!戻って来い!」
力強く呼びかけてくる声。
深い谷底へと落ちた身を、引き上げてくれるような。
弱々しくもその手を握り返せば、声が息を呑んだ。
重い瞼を開く。
焦点の合わない目の前の景色が、ぼんやりと形作られていく。
最初に見えたのは、赤。
「…南?」
彼の赤毛もそうだが、その後ろに燃え上がる炎が見えた。
炎の蛇が幾重もとぐろを巻き、嵐から守るように身を横たえている。
前にも見たことがあるような景色だった。
憶えている。
廃れた古い村で、霊魂の痛々しい叫びに引きずり込まれた時。
あの時も引き戻してくれた声は、一心に向いていた。
透き通るような翡翠色の隻眼。
そこに映る自身の顔を見返して、こほりと微かに咳き込みながら、それでも南は口角を緩めた。
「…ガラス玉」
「…へ…?」
「じゃ、ないね」
言葉の意味が掴めず、瞬く翡翠を見つめて。
「ラビの眼は、ガラス玉じゃないよ」
もう一度微笑みかければ、くしゃりと目の前の顔が歪んだ。
「なんさその第一声…意味わかんね…」
弱々しく呟きながらも、腕は強く南を抱きしめてくる。
「なんか…前も、こんなことあった気がする」
「そーさ…南はいっつもオレに心配かけ過ぎ。マジで寿命縮まる」
「ごめん、ね」
強く掻き抱くラビの背に腕を回して、彼の肩越しの炎の壁を見上げながら南は申し訳なさそうに笑った。
「でもオレは、南のヒーローだかんな。南がピンチの時には助けに行く役目だから」
「…うん」
「もう簡単に諦めたりしねぇから。南が応えるまで、呼び続けるからな」
「うん」
力強く迷いの無い声。
留めるように引き止めてくる抱擁。
ラビのそんな姿を感じていると、泣きたくなるのは何故なのか。
答えは、わかっているような気がした。