第82章 誰が為に鐘は鳴る
✣ ✣ ✣ ✣
「ッは…!げほッん、の…!」
荒れ狂う洪水のような波の中を、どうにか水を掻き分け進む。
腕に抱えた自身と同じ体格の人間を支えて泳ぐのは、どうにも骨が折れた。
それでもどうにか自力で、中庭の浸水していない丘へと這い上がる。
「ハァ…っくそ、」
ずるずると引き摺り上げた体を気遣う余裕もなく、どさりと地面に落とした。
それでも目を醒まさない彼の口元へと耳を寄せれば、僅かな呼吸音。
手首を握れば、確かな鼓動も伝わってくる。
どうやら命に別状はないらしい。
ほっと息を付きながら、ラビは頬に濡れて張り付く赤毛を掻き上げた。
「ったく…!自分まで気ィ失ってんじゃねぇさ」
ぜぃぜぃと荒い息をそのままに、それでも休むことは許されない。
中庭の洪水に落下したのは、目の前のリーバーだけではない。
先に救出していた南の体は、力なく横たわったまま。
南を丘に上げた後すぐさまリーバーの救出へ向かった為、彼女の安否確認はできていない。
急にリーバーの目の前で闇に呑まれるようにして、高台から身を投げ出した南。
ラビの知る彼女の起こす行動のようには思えなくて、まるで南とは違う別の力が働いているようにも見えた。
強い波に鞭打ちにされ、疲労した体を引き摺りながらも、横たわる南の傍に寄る。
手首を握れば、微かだが鼓動は確認することができた。
しかりリーバーのものより幾分遅い。
雨と水に打たれた顔は真っ青で、生気も見受けられない。
口元に耳を寄せれば、そこに在るはずの音は捉えられなかった。
「マジかよ…っ」
寒気が襲う。
実質的なものではなく、ラビの首の後ろをひやりと冷たい何かが撫でていくような。
その感覚は身に覚えがあった。
初めて南と共に向かったイノセンス確保任務。
そこでAKUMAに心臓を一突きにされた南を、抱き止めた時だ。
じわじわと胸元を真っ赤に染めながら、人形のように反応を示さなくなった南。
その姿に酷く動揺して、アレンに喝を入れられるまでまともな対応もできなかった。
しかし今は違う。
即座に南の頭部を僅かに持ち上げ、顔の位置を定め気道の確保を行う。
鼻を摘み躊躇なく唇を重ねると、肺に息を吹き込んだ。