第82章 誰が為に鐘は鳴る
「…しらない」
「それは思い出せていないだけだ。俺は知ってる。お前は椎名南だろう」
「っしらない…ッそんなめのひとなんていないもん…!」
逃げるように部屋の隅に体を縮ませて、幼き瞳は恐怖の色でリーバーを見上げた。
「そんなかみのひともいないっしらない!」
「そんな目って…色合いのことか?確かに南とは違うが、俺だって人間だぞ。何処の国にだっている」
「恐らぐ、その島国にはいないんだろう。見たごとがないものならば誰だって恐怖も感じる」
「っ!?っっ!!」
「馬鹿っお前は今出るな!余計怖がらせるだろ!」
ずるりとリーバーの腹から顔を出した亡霊に、南は声にならない悲鳴を上げて低い机の下に潜り込んだ。
しかしどうやら亡霊の言ったことは的を得ていたようだ。
「ほら見ろ!」
「わだじだけの所為じゃない。リーバーだって怖がらぜてるじゃないが」
「そ…それは言うな」
「あの女であるごとには変わりないだろうが、どうにも記憶が継ぎ接ぎだらげのようだ」
「そういえば…南からはあまり自国のことを語らなかったからよく知らないが、昔、その地に住んでたことはあったらしい」
「日本にか?」
「教団には日本出身者はいないからな。皆興味を持って、やたらとその時のことを聞きたがったんだが…」
"あんまり、憶えてないかな"
控えめに笑いながら、いつも彼女はそう首を横に振っていた。
「…なぁ、南」
「っ」
「俺達は悪い人間じゃない。お前を助けたくて此処に来たんだ」
白衣で腹部の亡霊を隠しながら、腰を折って机の下を覗き込む。
四つん這いで縮まっている姿は、本当に小さな少女にしか見えない。
どんなにリーバーが優しく声を掛けても、大きな暗い色の瞳から恐怖が消えることはなかった。
「…んで…みなみのこと、しってる、の」
「それは…だから、その…」
見知らぬ大の大人が、当たり前に自分のことを知っている。
ほんの小さな子供には、それだけで恐怖に映るのだろう。
どう言えば彼女の警戒心を解けるのか。
リーバーが応えを渋っていると、震える小さな口が先に応えを吐き出した。
「みなみも…たべにきたの…?」