第82章 誰が為に鐘は鳴る
しかし痛みに足を止めてなどいられない。
自分以上に痛手を追った心が在るのだ。
その心を守る為に、此処へ来たのだから。
「南───…」
すぐ目の前に彼女の姿はあった。
しかし現実を悟り顔を上げたリーバーの視界に、既に球体のように歪んだ世界は消えていた。
「…此処は…」
馴染みの科学班の研究室ではない。
目の前は真っ暗闇。
研究室のデスクも化学薬品も人影も、忽然と姿を消していた。
「何処、だ?」
「言っだだろう。此処はあの女の世界。ぞの記憶に在るものだ」
「此処が南の想像する世界だってのか?」
「想像ど言うよりも、女の心ぞのものだ。わだじが知る限り、今の女の心は地の底のように深い。捕らわれるど、一気に堕ちていぐぞ」
「堕ちてくったって…でも此処に南はいるんだろ」
となれば、捜す他ない。
暗闇に目を凝らす。
先は見えなくても手探りに、リーバーは恐る恐る踏み出した。
───ザリ、
意外にも足元には確かな地面の感触があった。
何もない奇天烈な世界ではない。
踏み出せば、砂か砂利か、ざりざりと何かを踏み付けているような音がする。
「また、南の記憶を象った世界なのか…?」
足から伝わるように、段々と暗闇に慣れた目が足場を捉えていく。
しかし其処は、リーバーの知る教団の内装ではなかった。
地面と呼んでもいいものか、抉られパイプが剥き出しになったコンクリートに、瓦礫の残骸のようなものが転がっている。
何かを形作っていたのだろうが、それら全てが破壊し尽くされているような空間だ。
「なんだ、この臭い…」
それは見た目だけではなかった。
リーバーの鼻を突く、じとりと纏う嫌な臭い。
咽返るような、肺が熱くなるような、そんな圧臭。
顔の前に腕を当てながら、足元を見ながら進んでいたリーバーの足が不意に止まる。
否、止まざる終えなかった。
こつんと足先にぶつかった小さな瓦礫が、目の前を転がっていく。
転がる瓦礫はすぐに視界から消え、目の前の闇に吸い込まれるように落ちていった。
「こんな所に、穴?」
リーバーの目の前に広がっていたのは、ぽっかりと口を開けた空洞だった。
強い力で抉られたような、禍々しい形をした巨大な穴だ。