第82章 誰が為に鐘は鳴る
「さぜるか…ッ止まれッ!」
喝を飛ばすように、リーバーの腹から這い出た亡霊が罵声を飛ばす。
するとどうだろう、今にも牙を立てんとしていたクロウリーの姿勢が、ぴたりと止まったのだ。
それは一瞬だったが確かな静止。
何故亡霊の声が獣化したクロウリーに届くのか。
リーバーには理解し難いことだったが、理解する暇もない。
「悪いクロウリー…!」
目の前で静止したクロウリーに、咄嗟にクロスボウを構える。
照準を合わせるのにリーバーが有した時間は、ほんの数秒だった。
放たれた矢は、一直線に強風の中を飛ぶ。
狙ったのは腕でも足でも体でもない、クロウリーの顔擦れ擦れだった。
ビッ
ほんの微かな皮膚を裂く。
矢が掠めたのは、クロウリーの鋭く尖った耳。
ぱっと飛び散る少量の血は、クロウリーに然程痛みは与えていないのだろう。
気にする素振りも見せない彼の姿に、リーバーはほっと笑顔を浮かべた。
「やった…!」
血の採取と体への最低限のダメージに、堪らず笑顔が浮かぶ。
しかしそれはクロウリーにとっても最小限の抑制にしかならず。
「グル、ル…」
「駄目だ、もう抑えられないぞ…!」
「え?うわ…ッ!」
「ガァアア!」
再び襲い掛かってくるクロウリーを、今度は止めることができなかった。
飛び掛られたリーバーの体が背中から転倒する。
馬乗りになり牙を向けてくるクロウリーを、どうにか下から押さえるだけで精一杯だった。
「く、そ…これじゃ矢が…ッ」
放った矢は壁に弾かれ、床に転がっている。
今すぐにでも取りに行きたいのに行けない状況に、思わず苦虫を噛む。
しかしその矢も大人しく転がっているだけではなかった。
辺りは嵐の龍が舞っているのだ。
強風に煽られ、威力も最小限にと軽量化していた矢は、ふわりと宙に浮いた。
「ああーっ!?ちょ、待て待て!飛んでくな!」
リーバーの叫びも虚しく、吹き抜けの天井高く舞い上がっていく血に染まった矢。
龍の背に跳ねられ、舞う矢が向かった先はシャンデリア───のはずだが。
「ぁ…?」
其処には、あるはずのシャンデリアが見当たらなかった。
ラビが足場にしていた巨大な装飾電灯は、忽然と姿を消していたのだ。
「…ラビ?」
風に煽られ揺れる、天井から垂れた鎖だけを残して。