第9章 ストリーミング・トラップ【元彼】
『視聴中』のリストが更新される。
再生されたのは、あの映画。
僕たちがそれこそ、
台詞を暗唱できるほど繰り返し観た、
耳馴染みを通り越して生活音になっていたあの映画。
彼女はその映画を避けていたはずだ、
思い出さないように蓋をしていたはず。
僕の知っている彼女なら、
こんな安っぽい餌には見向きもしないはずだった。
けれど、彼女の理性が僕への未練に負けたのだとしたら……
画面の中のキツネが意地悪に笑って、
彼女が一番好きだったあの台詞を言う。
――You know you love me.
彼女は今、誰もいないソファで、
あの頃と同じようにその台詞をなぞっているのだろうか。
僕の返事を待つように。僕の体温を欲しがるように。
僕は、
彼女の孤独を僕で、
僕の孤独を彼女で上書きするために、指を動かした。
『続編』をお気に入りリストに追加する。
その瞬間に彼女の画面にポップアップが出るように。
僕が今、君を見ていることが、逃げ場のない事実として伝わるように。
物理的な距離を超えて、彼女が息を呑む気配が聞こえた気がした。
かつて、彼女が意地の悪いイタズラを仕掛けてくると、
僕はいつも「Sly fox」と言って、あえてその誘いに乗ってあげていた。
彼女は「Dumb bunny」と返して、僕の顔を勝ち誇ったように眺めていた。
そんな、彼女の顔が好きだった。
それが二人の、言葉にしない愛の確認だったから。
でも、今回は違う。
強がって僕を追い出しておきながら、
結局思い出に負けて、
僕のアカウントで思い出の映画を再生してしまう。
プライドは人一倍高いけれど、
肝心なところで少し抜けている。
そんな君を、僕はちゃんと見ている。
スマホを手に取り、数ヶ月間一度も使わなかった宛先へ、
短いメッセージを送る。
かつての呼び名を、愛情を込めて少しだけ変えて。
映画のエンディングと同じ。
『Dumb fox』
返ってきたメッセージは、たった一行。
『Sly bunny』
映画に続編があるように、
僕たちの物語にも、
続きを始める理由は十分すぎるほど揃っている。
あとは、同じ場所に戻るだけ。