第19章 小さなすれ違い
その日の夜。
私は脹相の隣で、研究資料を読んでいた。
ふと顔を上げると、彼がこちらを見ていた。
「……どうしたの?」
「いや……」
脹相は少し迷うように視線を落としたあと、口を開いた。
「……そういえば、以前の研究は問題なく終わったそうだな」
「うん! 硝子さんにも確認してもらったし、結果も問題なかったよ」
「……そうか」
彼は、ほっとしたように息を吐いた。
脹相の血には毒が含まれている。
だからこそ、血液以外の体液にも危険性があるのではないかと、彼はずっと心配していた。
もし自分の身体が原因で私を傷つけてしまったら。
その不安が、私たちがそれ以上の関係に進めずにいた理由の一つだった。
けれど、硝子さんと私が研究を重ねた結果、安全性は確認できた。
硝子さんからも、もう問題ないと脹相に伝えてあると聞いている。
それでも、彼はまだ慎重だった。
「……今後、検体を採取する必要はないのか?」
「……検体?」
私は顔を上げた。
脹相は真剣な顔をしていた。
「ありがとう! でも、今は大丈夫だよ。必要な検査は終わっているし」
「…………そうか」
「うん! また必要になったらお願いするね!」
私は笑って、資料に視線を戻した。
けれど、隣の脹相はしばらく黙っていた。
……違う。
本当は、研究のためだけに聞いたわけではなかった。
硝子から安全だと聞いても、俺の中にはまだ不安が残っていた。
それでも、彼女に触れたいという気持ちは、日に日に強くなっていた。
だから、研究という理由があれば。
彼女の役に立つという形なら、少しだけ踏み込める気がしたのだ。
だが、彼女は必要ないと言った。
当然だろう。研究はもう終わっているのだから。
自分が勝手に期待しただけだ。
「……わかった」
脹相はそう答え、本を開いた。
私はその横顔を見て、少しだけ首を傾げた。
なんだか、残念そうに見えた気がしたけれど。
きっと、研究に協力できなくて寂しいのだろう。
そんなふうに考えて、それ以上は気に留めなかった。