第7章 新たな道標
虫の声が夜の静けさを包んでいる。
斗亜は右手をゆっくり持ち上げた。
月明かりが、手拭いを巻いた手を淡く照らす。
指先でそっと触れる。
剣心が巻いてくれた手拭い。
締め付けない。
けれど緩まない。
竹刀を握ることだけを考えた巻き方。
自分とは違う。
無理に力を込めない。
動きを生かす巻き方だった。
「育てる、か」
小さく呟く。
思い浮かぶのは昼間の敗北ではない。
弥彦の一撃を受け止めた感触。
踏み込まなかった足。
最後まで倒れなかった体。
「あの時…」
静かに息を吐く。
前へ出られなかったのではない。
守るために受け止めていた。
それが今になって、少しだけ分かる。
「守る剣…」
目を閉じる。
速さだけを追っていた頃の竹刀。
今の竹刀。
どちらも自分だ。
「まだやれる」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。
今度は痛みを確かめるためではなく、確かめるように手を握った。
静かに息を吐く。
そのまま瞼を閉じると、意識はゆっくりと眠りへ溶けていった。
その夜の斗亜は、久しぶりに何も追われることなく、穏やかな眠りにつくことができた。
まだ夜の名残が残る早朝。
東の空がゆっくりと白み始める頃、神谷道場の戸が静かに開いた。
軋む音だけが、静かな朝に小さく響く。
斗亜が一人、道場へ足を踏み入れた。
誰もいない板間。
冷えた空気が肌を撫でる。
中央まで歩くと、ゆっくりと竹刀を手に取った。
昨日までのように、すぐには構えない。
静かに目を閉じる。
一つ息を吸い、ゆっくりと吐く。
足の裏へ意識を落とす。
床を踏む感触。
重心の位置。
体の力の入り具合。
一つひとつ確かめるように、ゆっくりと竹刀を構えた。
「……」
朝の静寂の中。
斗亜は静かに踏み込む。
ヒュッ。
竹刀が風を裂く。
速さではない。
力でもない。
体の流れだけを確かめるような一振りだった。
振り切ったところで、そのまま止まる。
腕の位置。
腰の向き。
踏み込んだ足。
すべてを確かめるように静かに息を吐いた。