第2章 始まりの合図
「無理はすんじゃないよ」
「あ…女将。ちょっと縄を貸してほしい」
斗亜は窓から外を見ながら言った。
「縄…?」
「あぁ…鼠が出そうだ」
行灯の火が揺れた。
夜が深くなると、宿は呼吸を止める。
柱の軋みさえ遠慮がちになり、廊下を渡る風も音を立てない。
斗亜は布団に横になったまま、目を閉じていた。
眠っている様に見える。
だが、意識は沈んでいない。
気配を感じ取る。
重みが三つ。
忍んでいるつもりの歩き方だ。
やがてそれが消え、二階の廊下がわずかに鳴った。
足音が斗亜の部屋の前で止まる。
「ここだ」
「ここの階には用心棒一人だな」
「まずは死んでもらうか」
すっ。
襖がゆっくりと開く。
その瞬間、斗亜は布団の中で小さくため息をついた。
「この宿屋に入るのはやめろ…」
低い声だった。
「ッ!?」
賊の動きが止まる。
「何を言ってんだ!?」
「殺すぞ!」
「大人しくしてろっ!」
三人が一斉に踏み込んでくる。
斗亜は立ち上がる。
刀は抜かず、鞘のまま手に持つ。
月明りの中で、顔を上げる。
「後悔するのはお前達だと思うがな」
温度のない視線を、賊に向ける。
かつて躊躇なく人を斬っていた頃の目だ。
空気が一瞬にして凍る。
賊の足が一瞬だけ止まる。
その一瞬で十分だった。
斗亜は滑るように間合いを詰める。
足音はない。
畳を踏んだ気配すら残さない。
一人目の男の懐に入り込む。
柄頭が鳩尾に沈む。
「っ!?」
声にならない息が漏れ、体が折れる。
倒れる前に肩を支え、静かに畳へ横たえる。
横から来た二人目の手首を取る。
関節を極める。
骨が軋み、男の手から短刀が落ちる。
短刀が落ちる前に、足で弾く。
そのまま肩を押し込み、柱に背を打たせる。
衝撃は最小限に抑える。
賊の意識が落ちるには十分の衝撃だ。
最後の一人。
恐怖で顔が歪んでいる。
「ば、化け物だ…」
後ずさる。
斗亜は一歩近づき、鋭い視線を向ける。
じりじりと距離を詰める。
斗亜は持っていた刀の鞘で、男の顎を打つ。
首が大きく後ろに跳ねた。
膝から崩れ落ちた。
再び静寂が流れた。
三人分の呼吸音だけが、かすかに残る。