第2章 始まりの合図
視線を向けられるのが面倒で、斗亜は通りの端を歩いていた。
値段を聞く気が起きなかった。
それ以前に、いかにも高そうだ。
その時…。
「兄さん」
呼び止められた。
暖簾のかかった小さな宿屋だ。
立っていたのは、年配の女だった。
細い目が、まっすぐ斗亜を見る。
その視線は、旅人を見るものではなかった。
「泊りかい?」
「あぁ…いくらだ?」
女は答えない。
斗亜の腰を見る。
刀、手甲、足の運びを一つ一つ見ていた。
「兄さん、あんた腕が立つね?」
「関係…あるのか?」
斗亜は首をかしげて女に聞く。
「あるさ」
女は少しだけ笑った。
「うちは安くしとくよ。その代わり、用心棒を頼みたいんだ」
「用心棒…?分かった」
斗亜は短く返事をして頷いた。
案内された部屋は簡素だった。
畳と布団と行灯だけで、余計な物はない。
刀を横に置き、座り込む。
「屋根があるだけで十分だ」
ぽつりと屋根に感謝しつつ呟いた。
野宿続きの身には、それだけで喜ばしいことだ。
しばらくして、夕餉が部屋に運ばれてきた。
焼き魚、味噌汁、飯。
湯気が立っている。
斗亜は箸を取って、一口頬張った。
「うまい…」
思わず呟く。
その時、階下から声が聞こえた。
「この町は物騒だ」
「昨夜もやられたらしいぞ」
「賊が多いんだよ…」
「宿を選ばねぇと危ないな…」
斗亜の手が止まる。
「用心棒を雇ってる所もあるって話だ」
「それでも入られたってよ」
「全く…役人は何してんだか」
笑い声も混じっている。
その奥にあるのは諦めだった。
斗亜は味噌汁をすする。
体の奥から温まる。
外から戸を閉める音がした。
通りの気配が少しずつ静かになる。
「賊…か」
ぽつりと呟くと、自分の役目を思い出す。
だから安くと言ったのかと、ようやく理解する。
夕餉を食べ終える。
箸を置くと、刀を見る。
トントン。
「失礼するよ。さっきの聞こえたろう?」
膳を下げにきた女将がため息まじりに言う。
「あぁ…」
「この町は夜になると、鼠が出るのさ」
少し間を置く。
「大きいのがね」
「そうか…」
女将は去り際に、一度だけ振り返る。