第2章 【第一話】雪に残る歌
その日、師匠は朝から姿を消していた。理由は聞かなかった。聞いてもきっと答えは返ってこない。
私は屋敷の書斎で師匠に渡された資料を読んでいた。窓の外が暗くなっても師匠は戻らない。気付けば同じ行を何度も読み返していた。
その時だった。玄関の扉が重たく軋みながら開く。
冷たい夜気が一気に屋敷の中へ流れ込んだ。私は反射的に立ち上がる。
「師匠――」
呼びかけた声は途中で止まった。
師匠の腕の中に、白い髪の小さな少年がいた。
服は血と泥に汚れ、異様な形の左腕が力なく垂れている。髪の隙間から覗く顔の左側は赤く腫れ上がり、深い傷を負った頬が血に濡れていた。
少年は泣いていなかった。ぐったりと師匠に身体を預け、目を開けているのかさえ分からない。
その姿を見た瞬間、喉の奥に宿るニルヴァーナが微かに熱を持った。
「……っ」
それと同時に、ひどく弱い痛みのようなものが、こちらへ触れてくる。
彼の左腕に宿るものに反応したのか、少年の痛みに引き寄せられただけなのか、自分でもよく分からなかった。
「ティファ」
マザーの声に、はっと顔を上げる。
彼女は既に立ち上がり、師匠の腕の中の少年へ鋭い視線を向けていた。
「湯と清潔な布を持ってきな。ぼさっとしてる場合じゃないよ」
「……はい」
私は慌てて頷き、台所へ駆けた。
何を失ったのかも。なぜ、あんな腕をしているのかも。
どうして泣くことさえできないのかも。
この時の私は、何一つ知らなかった。
ただ。
あの白い髪の少年が、壊れかけたまま師匠の腕の中にいた姿だけが、胸の奥へ焼きついて離れなかった。
少年の名が、アレンだと知るのは――その翌朝のことだった。