第9章 催淫光
恐怖と焦燥感に突き動かされ、は乱れる呼吸を必死に整えた。
今度こそ何があっても見落とさないと心に誓い、神経を極限まで尖らせて薄暗い廊下へと足を踏み出す。
802号室、803号室……。
先ほど影が飛び出してきた804号室の前も、細心の注意を払いながら素早く通り過ぎる。
何事も起きず、怪異の気配もない。
(いける……?今度こそ、進めてる……!)
808号室を通り過ぎ、ついに廊下の最奥にあるエレベーターの扉が肉眼ではっきりと捉えられる距離までやってきた。
あそこまで辿り着けば、この階から逃れられるかもしれない。
安堵しかけたその瞬間、は僅かな違和感に気がついていなかった。
天井に等間隔で並ぶマンションの蛍光灯の光が、いつの間にか薄っすらと不気味なピンク色を帯びていたことに。
あまりにも淡く微妙な変化だったために、エレベーターに意識を集中させていた彼女は完全に視界の端の異変を見落としていたのだ。
あと数歩でエレベーターのボタンに手が届くというその距離になって、突如として頭上の蛍光灯がチカチカと激しく点滅した。
次の瞬間、廊下全体を染め上げるほどの濃密なピンク色の光が、容赦なくの全身を照らし出す。
「え……っ? なに、これ……」
ハッと気がついたときにはすでに遅かった。
その怪しい光に身体が包まれた瞬間、まるで肺の奥まで甘い毒を吸い込んだかのように全身の力が急激に抜けていき、膝が震えてその場にへたり込んでしまった。
「身体が……動か、ない……っ。熱い、なんで……?」
ただの光ではない。
じわじわと皮膚の奥から不自然な熱が突き上げてきて、視界がぐにゃりと歪み始める。
エレベーターのボタンはすぐ目の前にあるのに、痺れたように肉体は動けず、はただ激しくなる呼吸に胸を上下させることしかできなかった。