第4章 【五条悟】勿忘草の悪魔**
𓂃 side:五条悟 𓂃
マンションのエントランスを抜けると、黒いセダンが路肩に停まっていた。
後部座席のドアを開けて乗り込むと、ひんやりとした冷房の空気が火照った身体を包み込んだ。
「待った?」
「お疲れ様です。忘れ物、ありました?」
運転席の伊地知が、ルームミラー越しに尋ねてくる。
僕はシートに深く背中を預け、長い足を組み直しながら適当に相槌を打った。
「うん、まあね」
忘れ物。
そうだね。
あやうく、僕自身の『理性』をあの部屋に置き忘れてくるところだった。
最後まで一線を越えずに部屋を出てきた自分を、誰か思い切り褒めてほしいくらいだ。
息を一つ吐き出すと、手に持っていた紙袋の中から、が買ってきたパンを一つ取り出した。
包みの中身を見て、ふっと口元が緩む。
(……僕の好みなんて、まだ一つも教えてないのに)
何十種類もあったはずなのに、が選んだのは、僕が昔から一番好きな甘いパンだった。
包みを開け、一口かじる。
甘い味が、少しだけささくれた神経を落ち着かせてくれた。
「そういえば……都市伝説の件は、大丈夫でしたか?」
「ああ、あれね……うまくやっておいたよ」
「そうですか。それならよかったです」
その悪魔は今、僕のベッドで丸まっているなんて伊地知が知ったら、卒倒するんだろうな。
――悪魔か。
角も、羽も、尻尾もある。
どう見たって、こっちが祓う側の存在なのに。
なのに、あの子は僕の腕の中で、少しも疑わずにそんなことを言った。
『五条さんは……痛いこと、しないって……わかるからぁっ……』
あれは、無意識で言ったのだろうか。
それなら余計に厄介だ。
遠ざかっていく自分のマンションの最上階を見上げながら、もう一度、パンをかじる。
「……懲りないな、僕も」
𓂃 勿忘草の悪魔 𓂃
── to be continued.