第3章 【伏黒恵】君に響くカンパニュラ**
が、俺にキスをしている。
頭では分かっているのに、現実味がなかった。
そのことを本当の意味で理解したのは、の目から涙がこぼれたのが見えた時だった。
さっきまで、あれほど触れたいと思っていたのに。
いざ触れられたら、指一本動かせなかった。
少しして、唇がゆっくりと離れていく。
至近距離で、と視線が絡んだ。
の瞳からは、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ落ちている。
俺のシャツを握る手は、強く握りすぎて白くなっていた。
「……やだ」
部屋の中に、掠れた小さな音が落ちる。
一瞬、幻聴かと思った。
けれど、それは確かに、目の前にいるの喉からこぼれたものだった。
初めて聞いた、の声。
何度も、頭の中で思い描いていた。
こいつが声を出せたら、どんな風に笑うんだろう。
どんな風に、俺の名前を呼ぶんだろうって。
でも、本当のの声は――。
俺が勝手に思い描いていたものよりも、ずっと綺麗で。
泣きたくなるくらい、透明な声。
「どこにも行かないで……恵くん」
どこにも行かないで。
その意味が、すぐには分からなかった。
なんでだよ。
なんでそうなる。
気づけば俺は、を強く引き寄せて抱きしめていた。
細い身体を俺の腕の中に閉じ込めるように。
「……行くわけねぇだろ」
は俺の胸元に顔を埋めたまま、じっとしている。
俺のシャツを握る指が震えていることに気づいて、その手に自分の手を重ねた。
「お前を置いて、どこにも行くわけない」
さらに腕に力を込めると、ふわりとの匂いがした。
シャンプーなのか、柔軟剤なのかはわからない。
いつも隣にいる時に微かに香る匂い。
同じ匂いのはずなのに、距離が近いだけでこんなに違うのか。
腕の中にある柔らかさも、身体の熱も。
(離したくねえ……――)
そう思った瞬間、腕の中での身体が小さく震えた。