第10章 霧の屋敷の裏側
翌日――。
「あの、ツボネさん。実は昨日確認したワインボトルの数が、途中から分からなくなってしまって……」
ニナは再び執務室で帳簿へ向き合っていた。
「大丈夫ですよ。慣れてしまえばなんということもありません。慌てずゆっくり覚えていけばよろしいのです」
そう言って、老執事ツボネは腰元のポケットから小さな書き付けを取り出す。
「そうそう、ニナ様。昨夜、追加でワインを二本消費したと、ゴトーから報告がありましてね。そちらも昨日の日付で追記をお願いいたします」
「はい」
ニナは両手で紙片を受け取った。
そこに書かれていた銘柄と金額を見た瞬間、思わず目を疑う。
「……え」
ゼロの数を見間違えたのかと思った。
一本は、上質な羽ペンやインクを一式揃えられるほどの値段。
そしてもう一本は、豪華な馬車が一台買え、使用人なら一年は不自由なく暮らせるほどの額だった。
「シルバ様の方に、お忍びで来客でもあったのでしょうかねえ」
ツボネは何気ない口調で言う。
「えっ……あ、あの……これ」
何かを言いかけるニナに、ツボネは静かに続けた。
「ニナ様。屋敷の中では色々なことがあります。ですが、あまり詮索なさらないことですよ」
穏やかな声音だった。
けれど、その言葉には妙な重みがあった。
「これはワインがどうこうという話より、よほど大切なことですのでね」
「……はい」
ニナは小さく頷く。
割れてしまった白ワイン。
そして、イルミと開けた赤ワイン。
どちらがどちらだったのか――その時のニナには、まだ分からなかった。