第15章 五線譜の牢獄
「……クラリネットは?」
イルミの低い声が落ちる。
楽団員達は顔を見合わせて、そして最前列のクラリネット奏者が気まずそうに手を挙げた。
「その箇所はシュタインが担当でして」
「だから?」
「本日欠席しております」
イルミは表情を一切変えなかった。
「代役は?」
「その、私ですが……」
返事をした男が言葉を濁す。
「何?」
「その部分は、まだ練習しておりません」
「……」
イルミはゆっくり顔を上げた。
「第一幕の譜面は二週間前には渡ってる筈だけど」
その言葉には誰も答えを返さなかった。そればかりか数人が視線を逸らす。
「独奏者が欠席したら音が消える予定だった?」
今度も誰も答えない。
イルミは数秒だけ彼らを見つめ、それから譜面を閉じた。
「……それでよく今まで演奏してこれたね」
空気が冷えていき劇場が静まり返る。
「お前達ポンコツなの」
その一言にそれまで鎮まり返っていた楽団席は騒然としていく。
やがて一人が意を結したように恐る恐る口を開く。
「その……先生は出席表をご覧になっていないのでしょうか」
「出席表?」
イルミは一度だけ瞬く。
「何それ? 演奏に必要?」
楽団員達の間にざわめきが走った。
何人かが顔を見合わせる。
「必要です」
小さく答えたのはコンサートマスターだった。
「人数構成は音に影響します」
「音が鳴れば問題ないでしょ」
「鳴らなかったから問題になっているのですが」
「……」
イルミは数秒だけ考える。
クラリネットが欠席する。
音が減る。
だから困る。
確かにそうだった。
「……なるほど」
イルミは顎に指を当て、小さく頷いた。
だが納得したのはそこまでだった。
「欠席すると音が減るんだ」
「そうです」
「じゃあ代役が吹けばいい」
「……」
空気が再び重くなる。もう誰も言葉を発しなかった。
「ポンコツにも程がある」
イルミは言い捨て、再び指揮棒を上げた。
「時間がないから、次。六十小節」
楽団員達は慌てて楽器を構え直す。
楽団最後列のティンパニ席の大きな銅胴の影に半ば隠れるようにして、眼鏡の男が小さく息を吐いた。