第5章 オーバーライト※
恵くんの姿を視界に捉えた瞬間、張り詰めていたものが一気に解けて、肩から力が抜ける。
「……よかった、恵くん…で、」
乾いた喉でどうにか取り繕おうとしたけれど、言葉より先に、頬に温かいものが伝っていた。
慌てて服の袖で拭おうとしたけど、指先が震えて、裾を掴むことすらできなかった。
「っ、」
それを見た瞬間、恵くんの表情が僅かに歪んだ。
眉が寄り、奥歯を噛みしめるみたいに、輪郭がきゅっと強張る。
恵くんは持っていた私の荷物を少し乱暴に床へ置き、何かを抑え込むように息を吐いてから無言で距離を詰めてきた。
「……なんで、泣いてんだ」
「ゃ、これは、ちがくて、」
腕を掴まれ、隠そうとしても許されない。
「何が、違うんだよ」
低くなった声音。
怒っているはずなのに、何故かその奥に、焦りと戸惑いが滲んでいる。
「何も、されてない、から……」
「……」
一瞬、恵くんの呼吸が止まったように感じた。
どれだけ首を振って否定しても、恵くんは手を離してくれない。
それどころか、腕を掴む力は少しずつ強くなっていく。
「……まだ、覚えてるのか」
絞り出すような声はひどく掠れていた。
伏せられた長い睫毛の影が、恵くんの整った顔立ちに、重く暗い陰を落とす。
「っ、覚えてない!……覚えてないよ、何も、」
「…覚えてんじゃねぇか」
言葉にすれば、この恐怖も一緒に消えてくれる気がして、必死に嘘を重ねた。
けれど、そんな願いみたいな否定が恵くんに通じるはずもなくて。
「…………ムカつく」
「え…」
独り言のようにポツリと呟いた恵くんは、私の手首を解放して、ベッドの上に項垂れるように座り直す。
「どうすれば、お前はアイツを忘れられるんだ」
感情を噛み殺すように言い切って、恵くんは視線を逸らした。
その問いは私に向けられているはずなのに、
まるで私の中の消えない呪いに、恵くん自身が追い詰められているようだった。