第3章 香久夜の過去
ーー
ー
夏の日差しが照りつける高専のグラウンド。
木刀が打ち合わされる乾いた音と、重い足音が響いていた。
「ほら伏黒! 足が止まってるぞ!」
真希の大薙刀が容赦なく襲いかかり、恵は寸前で短刀の柄でそれを受け止める。
鋭い金属音が弾け、恵は数メートル後ろへ滑るように着地した。
「……すんません」
今日の恵は、明らかな集中力を欠いていた。理由なら、グラウンドの端、木陰のベンチで静かに座っている「彼女」にある。
香久夜だ。
彼女は今、五条の指導のもと、体内に莫大な呪力を留め、外部に漏らさないための「循環」の訓練を行っている。
目を閉じ、胸の前で手を組んで静かに呼吸を整える香久夜の姿は、まるでそこに立つ一輪の花のように綺麗で、同時にどこか儚い。
(……おかしい)
恵は短刀を握り直しながら、微かに眉根を寄せた。
朝、高専で合流した瞬間から感じていた違和感。
香久夜が近づいてきた時、風に乗ってふわりと鼻腔をくすぐった香りのせいだ。
いつもの彼女の、山で摘んだ花のような澄んだ匂いではない。
甘い柑橘と、清潔で、どこか冷たい石鹸の香り——五条悟の部屋の匂いだ。
『おはよう、恵くん』
今朝、少し気まずそうに、けれどホッとしたように笑いかけてきた香久夜の顔が脳裏にチラつく。
そして何より、香久夜が着ている高専の制服の襟元から、ほんの少しだけ覗く首筋。
昨日まではなかったはずの、五条特有の「空気」をまとっているように見えて、恵の胸の奥が不快にザラついた。
「おい恵! どこ見てんだ!」
「っ……!」
正面から打ち込まれたパンダの拳を、恵はギリギリで腕を交差させて防いだ。ずしりと重い衝撃が腕に走り、後ろへ押し出される。
「珍しいな、伏黒が身が入ってねえなんて。……あ〜、なるほど」
パンダがニヤニヤしながら、木陰の香久夜へと視線を往復させる。真希も薙刀を肩に担ぎ、呆れたように息を吐いた。
「香久夜ばっか見てねえで手ぇ動かせ。あいつはあいつで、五条と呪力のコントロールだろ」
「……別に、見てません」
恵は苦い顔で目を逸らしたが、自分の動悸がいつもより早いことには抗えなかった。
(なんで五条先生の匂いがすんだよ)