第3章 香久夜の過去
遠い目をして、懐かしそうに目を細める香久夜。
その表情の僅かな変化を、五条悟は見逃していなかった。
薄いサングラス越しに「六眼」で香久夜の背中を、その呪力の微細な揺らぎまで観測している。
(人に振る舞うのは、久しぶり…ね。)
五条は静かに思考を巡らせる。
先ほど、身体を抱きとめた時の反応。耳に触れ、首筋を撫でた時の、あの純粋すぎる驚きと引き攣り。
あれは男を知らない娘の反応だ。香久夜が無防備でいられるのは、決して淫乱だからでも、男性に慣れているからでもない。
単に「山で浮世離れして育った」からこその無警戒さ。
だが、完全に孤立していたわけでもない。
香久夜が山で一人で生き延びられたはずがないのだ。
道具の手配、生きる知識、そして今見せた「誰かのために料理を作る」という手慣れた所作。
間違いなく、誰かが彼女の幼少期に介入し、庇護し、教えを授けていた。
(保護者……いや、それ以上の『誰か』がいる)
それが呪術界の人間なのか、それとも普通の人間なのか。五条はあえて探るように、軽いトーンで声をかけた。
「ねえ、」
「はい?」
香久夜が振り返る。その瞳には、まだ先ほどの「過去の男」を想う切ない余韻が残っていた。
「昔は、どんな料理を誰に、ふるまってたの?」
「……っ」
香久夜の肩がぴくりと跳ねた。
隠すつもりはなかったが、彼のことを五条に話していいものか、香久夜の幼い直感が迷いを生んだ。