第3章 香久夜の過去
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「これ……口に合うと、いいんですけど」
おずおずと、香久夜は小さなお椀に出来立てのお味噌汁を少しよそい、味見として五条にわたした。彼女の声はまだどこか遠慮がちで、瞳もきょろきょろと落ち着かない。
それでも、こうして自分の手で何かを用意して誰かに差し出す――その姿は、どこか誇らしげにも見えた。
五条はソファから立ち上がり、笑いながら彼女のそばに歩み寄った。
「うん、いい匂い。見た目もばっちりじゃん。……さすが、一人暮らし歴は伊達じゃないね。」
「人に振る舞うのはほんと、久しぶりで……」
言いながら、香久夜は手をぎゅっと握りしめる。
山奥で一人で暮らしていた頃の記憶。
人里離れた庵に、時折どこからともなくふらりと現れる「あの人」の姿。
『、今日は何を作っているんだい?』
『お味噌汁を作ろうと思ったんだけど、お塩を間違えて入れちゃって……すごくしょっぱくなっちゃった……』
『はは、どれ。……うーん、確かにこれは海そのままの味だね。でもが振る舞ってくれた料理は全部嬉しいよ』
失敗したスープを、困ったような、でも愛おしそうな笑顔で飲み干してくれた「初恋の人」。
せめて綺麗に切れたニンジンは、美味しく食べて欲しくて、具材だけ多めによそったんだよな。
幼いときの淡い恋心も、外の世界の優しさも、温もりも、全部最初に教えてくれたのは彼だった。
(……今頃、どうしているんだろう……)
遠い目をして、懐かしそうに目を細める香久夜。
「……食べていい?」
何かを思う表情を察しながらも
それには触れない五条。
呪術の訓練も、日々の緊張も、押し寄せる未知の世界も――
今の彼女にとっては、まだすべてが“嵐”だ。
だからこそ、こうやって包丁を握って、火を使って、ご飯を作るという“日常”が、彼女にとっての唯一の拠り所なのかもしれない。
「あ、うん!もちろん」
五条は彼女の前に腰を下ろすと、箸を取り、ひとくち。
そして、ふわっと表情をゆるめた。
「ん、美味しい。……やるね」
「……ほんと?」
「うん、ったら天才、お嫁さんにしたい」
そう言っていつものようにおちゃらけた五条に嬉しそうに目を伏せた香久夜は、ほんのすこしだけ肩の力を抜いたようだった。