第2章 寮の怪異事件
──まただ。
目の前で、母の体が宙に浮かぶ。
ぐちゃ、と嫌な音がして、骨と肉が潰れる。
赤い血が、白い雪をどこまでも汚していく。
香久夜の喉がひゅっと詰まり、叫ぶこともできない。
『おかあさ……』
呪霊は、喉を鳴らしながら母の肉を咀嚼していた。
視界がぐるりと回り、気づくと最初に戻っている。
また、雪が舞っている。
また、囲炉裏で味噌汁を飲んでいる。
「……やめて……もう……もう、いいから……」
彼女の声は、誰にも届かない。
「どうして……わたしだけ、こんな…」
ふわりと立ち昇る湯気の向こうに、肉塊が家の戸を蹴破って入ってくる。母が捕まり、潰され、食われる。
何度も。
何度も、
終わらない悪夢。
「やめて……お願い…やめてよ……っ」
その願いすら、呪霊には届かない。
「何度でも見ろ」
闇の中から、ヨクバの声が響く。
「これが、お前の現実だ。生まれた時から、お前はずっと呪いそのものなんだよ」
「う、そ……」
「お前の存在が、人を傷つける。
恵だって、いずれはお前のせいで壊れるだろう」
「……っ!!」
膝を抱えて、頭を押さえる。
もう自分が何者だったかも、忘れてしまいそうだった。
温かさも、光も、声も、すべて闇の中に吸い込まれていく。
──そのときだった。
「香久夜……!」
耳元で、聞こえた。
あまりに真っ直ぐな、叫ぶような声。
「どこにいる!? 返事をしろ!」
その声は、心の奥の氷を砕くように響いた。
何かが、張り詰めていたものが、ひび割れる。
「……めぐ、み…くん……?」
彼の声は、遠くから確かに届いている。
雪が舞う記憶の中に、現実の温度が差し込んだ。
その瞬間――
繰り返された映像が、変わった。
あの日、母の最期の言葉。
『うまれて、きてくれて……ありがと……』
『……強く、生きなさい…運命に…負けないで』
(……わたしに……生きてほしいって、言った)
なぜ、そんなに長く忘れていたのだろう。
あれは呪いなんかじゃなかった。
わたしが存在する意味、そのものだった。
「恵くん……」
震える指が、意識の闇の中に伸びていく。
それでも、
彼の声がある。
彼の手が、届く気がした。
「……助けて……っ」
絞り出した声が、今度こそ、誰かに届いてほしいと願っていた。