第9章 かぐや姫の物語
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雨上がりの静けさが漂う隠れ家の廊下に、カサリ、と湿った傘を立てかける音が重く響いた。
香久夜と過ごした隠れ家に七海と恵は帰ってきたのだ。
七海の後ろにつき従い、リビングのドアノブに手をかけた恵は、期待と焦燥で心臓の鼓動を速せていた。
昨晩、初めて互いの心と体を重ね合わせた。自分を「呪う相手」ではなく、初めて自分をただの男として、愛しい人として受け入れてくれた感触が、まだ手に熱く残っている。
(大丈夫だ、俺が強くなればいい。彼女の呪力ごと、俺が全部抱きしめて守り抜いてみせる)
恵がそう心に誓い、ゆっくりとドアを開けた瞬間、その思考は氷のように凍りついた。
「…あ、お帰り。二人とも」
ソファの端にゆったりと腰掛けた五条悟。そのすぐ隣に小さく縮こまるように座り、五条の着ている服の袖口をすがりつくようにぎゅっと掴んでいる香久夜の姿があった。
五条の長くて白い指先が、彼女の柔らかい黒髪を撫で、肩を抱き寄せるようにして手元に留めている。
香久夜は抵抗する風もなく、どこか虚ろな目で五条の体温に縋りつくように身を沈めていた。
「…」
恵が彼女の名前を口にすると、香久夜はピクッと肩をこわばらせ、五条の袖をギュッ…っと掴んだ。
一度たりとも自分と目を合わせようとせず、五条に庇護を求めるようなその仕草に、また、振り出しに戻ってしまった感覚に襲われた。
今朝のあの笑顔はどこに行ったのか。自分の隣にいると言った彼女は、そこにはいなかった。
胸の奥が冷たい刃物でえぐられたような痛みが走る。昨晩の熱も、交わした言葉も、すべて自分の都合の良い幻だったのではないかという絶望が、恵の足元からじわじわと這い上がってきた。
その重苦しい沈黙を切り裂くように、軽快な声が落ちてきた。
「はいはい、そこまでー!」
「つっ……!?」
パチン、と乾いた音が響く。
五条の容赦のないデコピンが、呆然と立ち尽くしていた恵の額を容赦なく弾いた。