第8章 姫の呪い
玄関で靴を履きながら、七海は静かに自分の右手を見つめた。
戻ってきた伏黒の、あの獲物を奪われまいとする獣のような鋭い目つき。
(……やれやれ)
心の中で呟き、七海は薄く息を吐き出した。
あえて伏黒の前で彼女の頭に手を置き、あからさまに牽制してみせたのは、若すぎる彼の自制心を繋ぎ止めるための境界線を引き直すためだ。
……だが。
手に残る、あの小さく柔らかい頭の感触。
見上げられた時の、吸い込まれそうなほど澄んだ瞳。
(伏黒くんへの指導という大義名分を使って……私自身、一瞬でもあの無垢な存在に触れてみたいという欲を言い訳にしたのではないか)
大人としての矜持と理性の裏に潜む、ほんのわずかな歪みに気づき、七海は苦笑に近い溜息を漏らす。
あの子の持つ無自覚な危うさは、伏黒のような若い男だけでなく、理性を鎧にした自分のような男のタガすらも緩ませかける。
「まったく、実に面倒だ」
誰にも聞こえない声で低く毒づくと、七海は静かに隠れ家の扉を閉めた。