第98章 気付かないふりをするのがマナーでは?
「教育的指導なんだ。邪魔をしないでもらえる?」
「やり過ぎです。貴方は社員を殺す気ですか」
「まぁそれでもいいよ。僕に楯突いたんだ。こいつも、それくらいの覚悟は出来てるさ」
未だ咳が止まらない私を前に、睨み合うスーツ姿の男達。了が高圧的な態度なのはいつもの事だが、今は特に凄まじい。尖ったその視線で、相手を石にでも変えてしまえそう。しかし支配人は、そんな彼を前にしても一歩として引かなかった。
埒があかないと思ったのか、やがて了はくるりと身を翻す。そして、片膝を折ったままの私を見下げて告げた。
「ま、いいや。今日のところは見逃してあげる。その代わり…帰って来たら、きつーいお仕置きが待ってるから。どうぞお楽しみにー」
了は帰り際、扉から顔だけを覗かせて言い残した。
「それにしても支配人。残念だなぁ。君とはこれから、もっと良いお付き合いが出来ると思ってたのにさ。
僕って記憶力が、物凄〜く良いんだ。きっと今日のこと、永遠に忘れないから」
パタンと扉が閉まると同時、私は支配人を見上げる。ちょうどいいタイミングで地面に座っているわけだし、このまま土下座でも決め込もうかと本気で思った。
しかし彼は、目を細めて私に手を差し伸べた。
「立てますか?」
『あぁ…はい。というか、すみません。貴方まで、あの男に目を付けられる結果になってしまって』
「いやなに、良いんですよ。私はただ、音楽が好きでここに立っているので。権力者に媚びたり、気に触ったりしないよう身の振り方を決めたりするつもりは最初からないですから」
彼に立ち起こしてもらい、私は弱々しい笑みを返す。彼のような清々しい生き方をしている人間が、眩しく感じた。でも、自分がそういう生き方を選ぼうとは思わない。
「あなたの方は…立っている場所は、そこで合っていますか?」
『……』
「君ならば、いくらでも他に雇い手はあるでしょう。TRIGGERと距離を置いてまで、あのパワハラ社長の下に就いてまで、あなたはここに いなければいけないのですか?」
私は、自分を案じてくれる彼の視線を真っ向から受け止める。そして力強く、頷いた。