第118章 青い花の秘密
「お忙しそうですね」
文机の周りに山のように積まれた書類を見回しながら、朱里は眉根を寄せる。湯治から戻ると、有馬での静かでゆったりと過ぎていた時間が幻だったかのように、時間に追われる日々が戻っていた。
「常と変わらん」
茶を一口飲んだ信長は、表情を変えずに短く答える。
「ご無理なさらず、休んで下さいね」
立場上おいそれと休むことも難しいだろうとは思いつつ声を掛けると、秀吉が隣で同意するように頷いていた。
「朱里の言うとおりですよ、御館様。湯治から戻られて、碌に休んでおられないでしょう?」
「……同じことを先程も聞いたぞ」
信長が僅かに眉を上げると、秀吉は臆することなく言葉を返した。
「何度でも言います。御館様は働き過ぎです」
「この程度で働き過ぎとは…俺も甘く見られたものだな」
「そ、そういうことではなく…適度に休息が必要ということです。御館様の決済が必要なものばかりなので、政務の量を減らすというのは難しいですが、少しだけでも休む時間を取っていただきたいのです」
「ならば……秀吉、貴様は暫しこの場を外せ」
思いがけない信長の言葉に、秀吉は目をぱちぱちと瞬かせた。
「……は?」
「聞こえなかったのか。暫し席を外せと言ったのだ」
「いやいや、聞こえましたけどね!? いきなり何ですか!」
納得できないと顔に書いてある秀吉に、信長は呆れたように息を吐く。
「休めと言ったのは貴様だろう」
「それはそうですが……」
「ならば休む。文句はあるまい」
「今からですか!?いや、その、この後は謁見の予定が…」
「待たせておけ」
信長はあっさりと言い放ち、茶碗を置いてゆったりとした動作で立ち上がった。
「朱里」
「は、はい」
「こちらへ来い」
言われるまま、立ち上がって傍に寄ると、ぐいっと腕を引かれる。
「きゃっ…!」
体勢を崩しかけたところを腰に手を回され、そのまま文机から少し離れたところにある長椅子へと導かれた。
執務室の傍らには異国からもたらされた長椅子が静かに据えられていた。黒檀にも似た深く艶やかな色合いの木枠には精緻な彫刻が施され、蔦や花などの文様が流れるように連なっている。厚く張られた深紅の天鵞絨は指先でなぞれば沈み込むほど柔らかく、金糸で施された刺繍が繊細で美しかった。