第118章 青い花の秘密
有馬での湯治の旅から戻った信長は、再び慌ただしく政務に追われる日々を過ごしていた。
「御館様、こちらの報告書ですが…」
「こちらの書状はご覧頂けておりますでしょうか?」
「御館様、京から急ぎのお使者が来られました!」
大坂城の信長の執務室には、今朝も早くから途切れることなく家臣達が出入りしていた。
室内には、報告書や書状の類いが大量に積まれており、足の踏み場にも窮するほどであった。
「はぁぁ……」
書状を書き終えて、一旦筆を置いた信長は長く深い溜め息を吐く。
「御館様…少し休憩なさいますか?」
次の報告書に手を掛けていた秀吉だったが、信長の疲れた様子を敏感に察したのか、案ずるように声を掛ける。
秀吉の問いかけに対して、信長は不審そうに眉を寄せる、
「……休憩だと?」
皮肉とも取れる低い声だったが、その響きには疲労の色が確かに滲んでいた。部屋の至る所に積み上げられた書状の山へ視線を巡らせて、信長は皮肉っぽく言う。
「愚問だな。休めばこれが減るのか?」
「勝手に減りはしませんよ。しかし、少しは休まないとお身体に障ります」
秀吉は軽い口調で応じながらも、その目は真剣そのものだ。机の端に置かれた書状の束を軽く整え、視線を信長の方へと戻す。
「有馬から戻られてより、碌に休まれていませんよね。温泉で少し骨休みされたとはいえ、毎日ずっとこんな調子では…元も子もありませんよ」
「休んでいる暇などないのは貴様も分かっているだろう」
「それは、そうなのですが…」
先の戦の後処理は落ち着いたとはいえ、一度不穏の芽が撒かれた地には油断なく目を光らせていなければならない。
平穏な日々は一瞬にして崩れる。一刻の油断が命取りになることは、戦国の世に生きる者ならば誰もが身を持って感じていることだった。
「失礼致します」
主従の間の張り詰めた空気を遮るように、障子の向こうから涼やかな声が聞こえた。
「入れ」
短い返答だが、信長の声に僅かながら機嫌良さげな響きを感じて、秀吉は内心ほっと胸を撫で下ろすのだった。
障子が静かに開き、朱里が顔を覗かせる。
茶碗と菓子がのった盆を手に持ち、柔らかく微笑む愛妻の姿を見て信長もまた自然と口元が緩む。
「今日は何の菓子だ?」