第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
「んっ…ま、待って」
「待たない」
「待…っ杏寿郎っ」
胸を押し返そうとすれば掌を掴まれる。
指先に口付ける仕草は恭しくも、向けてくる視線は欲を含んでぎらついている。
ぞくりと背筋が震え上がる。
恐怖ではない。その先の波に飲まれるような快楽を知っていたからだ。
それでも歯を食い縛り蛍は声を上げた。
待ち望んではいても〝それ〟は規格外のことだ。
「話を聞い」
「わかってる」
そこに間髪入れず返された返答に息を吞んだ。
蛍が切羽詰まって慌てていることを、杏寿郎は理解していると言う。
「自分の体の変化に驚いているんだろう? 俺は男だ。君より今の君の身体のことをわかっている」
「な…」
驚きを隠せないでいる蛍に、淡々と杏寿郎が熱のこもる声で囁く。
「今の君は、男となれば途端に自分の存在価値も塗り替わったように意識しているな」
「…え…」
「男の自分は俺の求める彩千代蛍ではない。そう感じていると言えば伝わるか?」
「…っ」
図星だった。
男となれば半裸を晒すことにも抵抗がなくなった。
それと同時に杏寿郎に対する心構えも薄くなったように感じる。
しかしそれが普通だと思っていた。
自分は今、男なのだ。
同じ男である杏寿郎が、性的な目で見るはずはない。
「悪いが、俺は男の君でも共に湯浴みをしただけで理性を崩される。目のやり場を考えるし、かと思えばこの目が釘付けにされる。女であろうと男であろうと関係ない。蛍だから抱きたいんだ」
全てを見透かしたような双眸を前に。
性別など関係なく喰らいたいのだと欲を擡げる視線に晒されて、蛍はぶわりと己の体が熱くなるのを感じた。
「っ…え…と…」
上手く言葉にできない。
羞恥が勝っているが、体の奥底がじわじわと熱くなるのは明らかに目の前の男に反応した結果だ。
彼が欲してくれているように。
自分も彼を欲している。
その表れが、視界の隅にちらつく己の体の一部なら。
「言っても蛍は聞かないことがあるからな。それなら体にわからせることにする」