第8章 不協和音(ディソナンス)
グランツェ王国からようやく一旦解放され、帰路に着いた馬車の中で、イルミは小さく息を吐いた。
午後の光が埃っぽい車内を照らす。
石畳を打つ馬の蹄の音に合わせて、身体の芯が徐々に緩んでいくのがわかった。
一週間ぶりの帰宅だ。演奏の打ち合わせ、気まぐれな宮廷貴族たちの対応、契約の締結、宮廷楽団との音合わせ……。
忙しない日々がようやくひと段落した。
オペラ公演の作曲依頼が正式に決まったことは、ひと足先に手紙で伝えてある。帰宅したら進捗を報告しなければならない。
宮廷楽団との音合わせを思い返すと、自然と溜息が漏れそうになった。弦も管も好き勝手に鳴り、まるで犬や猫が一斉に喚き立てるような騒音だった。
あの纏まりのない音を思い出すだけで、どっと疲労が押し寄せてくる。
馬車が王都の外れを抜け、なだらかな丘陵地帯に入ると、景色が徐々に変わっていく。
遠くに広がる麦畑の緑が風に揺れ、点在する農家の煙突からは白い煙がのぼっている。道沿いのポプラの木々が優しく葉をざわめかせ、時折、果物を積んだ荷車とすれ違う。
やがて馬車はデンドラ地区の入口に差し掛かった。石造りのアーチ門をくぐると、賑やかな市場通りの喧騒が窓から流れ込んでくる。
焼きたてのパンの香りが漂い、露店では新鮮な野菜や銀色の魚が朝獲れのまま並べられている。
宮廷近くの宿で出されていた硬いパンと薄いチーズ、味気ないハムを思い出すと、自然と腹の底が鳴った。
十七歳の青年の食欲というものは、一度火がついたら消すことは難しい。それでも馬車を停めずに走り続ける。
「……早く帰って、家で何か食べたいな」
イルミは小さく呟き、長い前髪を指でかき上げて窓の外を見つめた。もうすぐ我が家に着く。
暖かいスープの香り、柔らかいパンの感触が懐かしい。普段はうるさくて邪魔にすら感じる弟たちにさえ会いたいと思う。
馬車の揺れに身を任せながら、イルミの顔に微かな笑みが浮かんだ。