第6章 調律の外れにて
床に散った譜面、ニナの赤く腫れた頬、そしてイルミの立ち位置。
シルバは室内をゆっくりと一巡した後、静かにイルミを見据えた。
「何をしている」
声は低く、抑揚はない。
ただ、その一言で場の主導権が切り替わった。
イルミは伏せていた視線をゆっくり上げると、飄々と言った。
「別に。ニナの怠慢を矯正しただけだよ。まともに音を理解しようともしないから」
「理解していないのは誰だ」
間髪入れず返る言葉に、イルミの瞳がほんの一瞬だけ揺れる。
「……何が?」
シルバはそれ以上は言わずただ一歩イルミとの距離を詰める。
イルミは無言のまま、視線を逸らした。
横から、キキョウが口を開く。
「その子、音が聞こえてないのよ」
イルミは母親に怪訝そうな目を向ける。
「……は?」
シルバの視線が、わずかに落ちた。
床に散らばった譜面を一枚拾い上げ、腰を落としてニナの前にしゃがんだ。
わずかに目を細め、静かに尋ねる。
「……読めるか?」
ニナは一瞬言葉を失い小さく頷きかけたが、途中で止まった。
「……読め、ます」
声が掠れる。
「でも」
シルバは静かに続きを待った。
「音は、分かりません……」
室内の空気が、わずかに揺れた。
シルバは視線をイルミに戻す。
「ということだ。記号としては追える。だが、音として結ばれていない」
イルミは眉をひそめる。
「そんなはずない。読めるなら――」
「“お前は”そうだな」
シルバが言葉を断ち切るように重ねた。
「だが、それが前提だと思っているなら誤りだ」
短い沈黙の後、キキョウはくすりとも笑わずに口を開いた。
「あなたが特別なのよ、イルミ」
柔らかな声。だが、一切の甘さもない。
「誰もが同じように“聞こえる”わけではないの」
イルミの手が僅かに強張る。
足元の紙片へ視線が落ちる。
「……じゃあ、こいつは何も分からずに写してたっていうの?」
「そうなるわね」
キキョウはあっさり肯定する。