第6章 調律の外れにて
ニナは叩かれた衝撃でよろめき床に崩れた。
絹越しに床に触れている太腿にひんやりと冷気が伝わる。
遅れて、頬に残る痛みがじんと熱を持ちはじめた。
ニナは頬にそっと手を当てながら、浮かんできた記憶と目の前の現象を照らし合わせるようにイルミを見つめた。
無表情の奥に潜む確かな苛立ち。思えば、イルミに強く腕を引かれた状況も重なっている。しかし、ニナには何故イルミは不機嫌なのか、はっきりとしたことは分からない。分かるのはイルミが不快を感じる領域に、自分は気づかぬうちに踏み込んでしまう、ということだけ。
イルミはもうニナを見ていなかった。
足元に散らばる紙片を気にも留めず踏みつける。
音もあげず靴底に敷かれた楽譜に、ニナの視線が吸い寄せられる。
その時――
扉の向こうで、微かな金属音が鳴った。
カチリ。
静かな音だったが、やけに明瞭に響いた。
イルミの動きが止まり視線だけがそちらに素早く滑る。
続いて、鍵の回る音。内側から閉ざした筈の扉が何の抵抗もなくゆっくりと開いた。
先に一歩、踏み込んできたのは燕尾服めいた黒衣に身を包む執事だった。無駄のない所作で扉を押さえて脇へと控える。僅かに視線を落とした横顔に、メガネの縁が光る。
その背後に、キキョウが立っている。
薄いヴェールを纏った顔に、扇子をかざしてながら。
そして最後に、当主のシルバが入ってきた。足音はほとんどしない。
ただ、その圧倒的な存在が空気を押し下げるように広がる。
三人の視線が、一瞬でこの場を捉える。