第6章 調律の外れにて
キキョウの部屋から出たときには、イルミの指定はとっくに過ぎていた。
ニナは一瞬足を止める。だが次の瞬間、躊躇を断ち切るようにスッと息を吐き書斎とは逆の廊下へ向かった。
書斎に戻ったニナは扉を開けるといの一番に切り出す。
机に向かい視線だけを窓の外に置いたイルミの背に、胸の奥に引っかかっていた言葉を吐き出した。
「……イルミさん」
いつもと違った様子を察したのか、イルミは黙って振り向きニナをじっと見つめた。
ニナは深く頭を下げた。
「申し訳ございません。私はやはり家事を疎かにできないと思い直しました。写譜はお引き受けできかねます」
「……」
姿こそ見えないが、頭上に広がる空気が澱んだように感じた。
それでもニナは更に続ける。
「……それと、こちらも……お返しいたします」
震える手で、楽譜の束を差し出す。
「…………何言ってるの」
静かな、しかし底冷えのする声だった。
ゆっくり椅子から立ちあがったイルミを、心拍の高鳴りを堪えニナは見上げた。
イルミの瞳が、ゆっくりと細められた。
「お前、自分の言ってることわかってる?」
「……はい。家のことも満足にできない私にに……音楽をやる余裕なんか……」
「それが理由?」
寝不足だと言っていた。そのせいかいつもの完璧な冷静さは影を潜め、声に苛立ちが滲んでる。
だが、ニナは引かない。
「……はい」
「それ、俺が書いた曲だけど」
「…………はい」
「…………」
無言の空気が重い。
楽譜を持つ両手が徐々に重力に沈みそうになる。