第5章 不協の兆し
朝食をなんとか済ませた後、ニナはすぐに水仕事に取りかかった。
桶に張った冷たい水に指先が浸る。じん、とした感覚が遅れて戻ってくる。
けれど、それはどこか遠かった。
自分の手の筈なのに、うまく掴めない。
(……しっかりしないと)
桶の中に沈む皿やティーカップに目を落とす。
イルミはあれから結局ティーカップには口はつけず、食事もそこそこに、また書斎に籠っている。
(午後は、何事もなくやれるといいのだけど……)
その時。
「ニナ」
短く、名前が落ちる。
次の瞬間、掴みかけた皿が滑った。
床に当たり、乾いた音が響く。
「……はい」
遅れて、声だけが出る。
体は既に、そちらへ向きかけていた。
「今、いい?」
イルミはいつも通りの声。
割れた皿も、濡れた手も眼中にないらしい。
ニナは目を伏せた。
水に浸かったままの手と、途中の作業を見る。
床に落ちた皿ある。
拭き掃除もこれからだ。
分かっている。
このままにしていけば、後で困ることも。
それでも。
「……すぐ、行きます」
そう答えていた。
割れた皿の破片を拾い集め、桶の脇へ寄せる。
指先がうまく動かず、小さく取りこぼしかける。
濡れた手を拭い、立ち上がる。
わずかに、視界が揺れた。
それでも、足は進んで行く。
指先はまだ冷たく、感覚がぼんやりとしたままだった。