第4章 残響に沈む
ニナは背筋を張ったまま、視線をわずかに下げていた。足先はわずかに内側へ寄り、手先は身体の前に揃えて。
部屋の中央に立たされたまま、一歩も動かない。
「熱は下がったのね」
背の高い椅子に腰掛けたまま、静かにキキョウ夫人は言った。
「無理をしたのかしら」
薄いヴェールの向こうで、影に沈んだ視線がニナを測るように動く。
「近頃は家事に加えて、あの子の用事もあるのでしょう」
「……はい」
かすかな声が落ちる。
「……それで倒れるようでは、話にならないわね」
夫人の声が甲高く響いた。
「……申し訳、ありません」
言葉は途切れがちに沈んだ。
「私からあの子に言うことは簡単よ」
すぐに、また穏やかな調子に戻る。
扇がわずかに持ち上がり、視線がまっすぐに向けられる。
「でも、その必要があるのかしら」
ニナは一瞬だけ息を止めた。
うまく吸えず、喉の奥がひくりと動く。
「この世界は、音楽家として生きていくには相当な覚悟がいるわ」
ニナは視線を伏せたまま、手先をギュッと握る。
「どちらも中途半端なままでは、何も残らない」
「……はい」
肩がほんのわずかに内へ寄る。
それでもなんとか背筋だけは崩さないように耐えた。
「もし関わるなら、死ぬ気でやっても足りないくらいよ。イルミもそう育てたの。並の人間には務まらないことよ」
屋敷に満ちていた音が、ふと胸の奥に蘇る。
「ニナ、あなたはどう? 出来るのかしら?」
ニナは目を伏せたまま、小さく息を吐いた。
返事は出来なかった。
言葉だけが、遅れて胸の奥に沈んでいく。
「そうでないなら——近づかないことね」
足先が、わずかに床を掴む。
その場から動けず、項垂れる。
(……近づかない)
その言葉だけが、消えずに残った。