第11章 【脹相】君の名
食事が終わり、比丘尼は虎杖の片付けの手伝いを断ると虎杖は「あんがと。じゃ、行く準備してくるわ」と部屋から出ていった。
比丘尼は未だに座ったままの脹相のところへやってくると「お下げしますね」と置かれた食器に手をかける。
「比丘尼」
「はい」
比丘尼が脹相の顔を覗く。
何だろうかと尋ねるような表情。
「お前に名前はあるのか?」
比丘尼の瞳が驚いたように少し開かれる。
戸惑ったように揺れている。
躊躇ったように逸らされる。
脹相は比丘尼の方に身体を向けると逸らされた瞳を覗き込む。
「お前の名前は何だ?」
「…私の、名前…」
そこで脹相は妙な感覚に陥った。
(――いや、俺は…この女の名前を、知っている…?)
そんなことを思っている間も比丘尼は戸惑い、そして何かを決したようだ。
「…私の名前は――」
(お前の名前は――)
「「八重」」
二人の口からは同時に名前が出てきた。
八重は驚き、脹相を見る。
脹相もまた口から勝手に出てきた名前に驚き、八重を見る。
見つめ合う二人の間に沈黙の時間が流れる。
その沈黙を経て、八重の瞳から涙が一雫溢れた。
八重は慌ててそれを拭う。
しかし、その後も溢れ続ける涙は止まりそうにない。
「すみません…少し、落ち着いてきます」
踵を返して離れようとする八重の手首を脹相は咄嗟に掴んでいた。
「すみません、離してください…」
緩く手を引き離れようとする八重を脹相は離さない。
八重から流れてくる感情は驚きや戸惑いもあるが、大きく占めているのは懐かしさや喜びといった悪いものではない。
脹相は立ち上がると八重の手を引き、自分の肩に顔を埋めてやる。
「ここで泣けばいいだろう」
「…そんな訳には…」
身動ぎして離れようとする八重の頭を後ろから支えるように肩に押し付ける。
「…一人になるな、八重」
もう一度、今度はしっかりと名前を呼んでやる。
すると、離れようとして脹相に添えられた八重の手からは押し返す力は消え、かわりにその手で脹相の服を緩く掴んだ。
「……ありがとう、ございます…」
消え入るようにそう言うと、脹相の肩に頭を預けた。
支える手が、肩が、今まで感じてきたどの温かさよりも温かかった。