第8章 百鬼夜行の、その最中※
外の冷たい空気に慣れきった肺に、甘い香りがゆっくりと染み込んでくる。
吐く息とは逆に、体内へへ入り込んでくる暖かな匂いのせいで、一瞬だけ───百鬼夜行のことを意識の端へと押し流しそうになった。
「なんか作ってんのか」
「…あー……」
何気なく投げた一言に、ナマエは歯切れの悪い声を上げた。
視線が右へ左へと落ち着きなく彷徨い、エプロンの端を指先でぎゅっと摘んでいる。
「……えっと、実は…カップケーキ作ったの。お店のより美味しくないかもだけど、頑張ったから…」
さっきから漂っていた甘い香りの正体は、それだったらしい。
ほんのりと頬を染めて眉をわずかに下げながら、それでも期待を隠しきれない目でこちらを見上げてくる。
返事はもう決まっているはずなのに、こういう顔を向けられると、どう答えるのが正解なのか分からなくなる。
「…食う」
「ほんと…!?あの、甘さ控えめにしてみたから、たくさん食べてね!」
ぱっと弾む声に、胸の奥が安堵した。
言葉にはしなかったが、正直かなり助かる。
甘いものは得意じゃない。
甘すぎると食うのに時間がかかるし、残せば余計な心配をかける。
ただ───"甘さ控えめ"というその一言のせいで、俺のことを考えながら作ったんじゃないか、と勝手に期待してしまう。
はっきりそう言われたわけでもないのに、その事実だけで胸の奥が緩んでしまう自分が少し気持ち悪かった。
──俺は今日、ナマエを監視するために、ここに来た。
その決意を心の中で反復して、緩みかけた思考を引き締めるように軽く頭を振る。
そして嬉しそうに俺を見上げているナマエの頭を軽く撫でてやると、ナマエは更に表情を緩めて廊下を歩き始めた。