第2章 依依恋恋 二話
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────……もう私のこと、忘れないで。
武将としての生を終えた後、五百年後に新たな生命として生まれたこの身へ再び過去の記憶が戻って来たのは、おそらく小学校低学年くらいだっただろうか。今思い返せば、中々にませた子供だった。唯一無二の番を探す事にしか関心を抱かない───それ以外には極めて無関心な息子を、今生の両親が至って普通の童(わっぱ)と隔てなく育ててくれた事には、感謝しかない。
記憶が蘇ってからずっと、光秀は己の魂の半身を探し続けている。もう忘れないでと涙を流した彼女に、二度と同じ想いはさせまいと、何度も前世の記憶を反芻した。新しい生命になったとしても、五百年前の乱世に生きた【明智光秀】ではなくなったとしても、身体の中に眠る数多の記憶は紛れもなく本物であり、光秀自身のものだ。なにひとつ掌から零しはしないと、乱世で交わした誓いを今生でもずっと守り続けている。
もし再び凪と出会えたなら、まずは何を話そうか。久しいなと声をかけるのも些か妙な心地だ。あの娘の事だから、ずっと探してたんですからね、と少し怒ったような顔で文句を言って、その後で愛らしく笑うのだろう。出会う事が出来たのなら、二度と離すまい。もう一度俺の妻になってくれるかと問うて、水色桔梗を凪の黒髪へ飾る────そんな、都合の良い夢想をずっと思い描いていた。
(どうやら、そう簡単には叶いそうにないな)
まるで冷水(ひやみず)を頭から思い切り被せられたような気分だ。襖が開かれたと同時、視界に飛び込んで来た姿は、光秀がもう何年も待ち望んでいたものだったというのに────彼女は些か緊張した面持ちで、初めましてと頭を深々下げた。恋い焦がれた娘にようやく出会えた高揚感と、彼女が過去をすべて喪失してしまっている事実を突きつけられた絶望感。まったく相反する感情が胸の内で渦巻く中、光秀は至って何事もなかったかの如く、凪へ座るよう促した。こんな時、前世から引き継いだと言っても過言ではないポーカーフェイスが役立つというのも、少々複雑な心地である。