第17章 雲丹
「毒があるなら名前もありそうなものだけど」
「捌くのが簡単だからだな。棘を切れば無害になる」
「へぇ」
「お前の言っていた薬はこれだ」
なんだ、聞こえていたのか。ソーンズは淡々と目的の薬液を指して教えてくれた。
「ありがとう、ソーンズ」それからもう一度水槽の生き物へ視線を戻して。「この生き物はこれからどうするんだい?」
「実験に使うから長くは持たないだろう」
「あ、そっか……」
研究室にいる生き物は、そういう運命を辿ってしまう。分かってはいても、それはとても悲しいことのように思えた。私は水槽にいる生き物が、まだ生きていることをよく確認した。
「もう少し見ていていいかな?」
「構わない」
その琥珀色の瞳は、私にどういう思考や感情を巡らせているのか何も語ってはくれない。ただソーンズはまた防護服に身を包み、研究を始める最初の動きをいつも通り開始しただけ。
私は名前のない海洋生物をしばらく観察し続けた。私のよく知らない海底には、こんな生き物が生き続けているのか。自らの体に毒を身につけて、あの恐ろしい海を生き続けている……。
そうか。どうもこの生き物に親近感があるなと思ったら、ソーンズのぐしゃぐしゃ頭によく似ているのだ。この海洋生物は棘一つ一つに意思があるかのように常に小刻みに揺れていて、それはソーンズの髪の毛一本すらソーンズを物語る彼の個性とよく似ている気がした。
「ウニってのはどうかな。君の名前」
私はソーンズが聞いているかどうかは気にせず海洋生物に話し掛けた。もちろん返事はない。水槽の隅でじっとして、来たるべき獲物を待ち続けているように見えた。