第2章 正義の致死量
成長するに連れて、古い記憶は掻き消えてゆく。いや、その言葉には少し語弊があった。正しくは『老いるにつれて』である。歳を重ねれば重ねる程に、日々は色褪せる。出逢う物事は、さして目新しくなくなってゆく。その度に間延びし過ぎた人生に溜息をつきたくもなる。それでも、だ。人には人生という道があるべきだ。誰かが目前で倒れたならば、必ず手を差し伸べる。その為ならば力を惜しまない。それが彼女——神原雪乃。日本の医局で働く外科医であった。
「ごめんなさい、先生。今なんて」
雪乃は前世——Dr.STONEが漫画として存在する世界にて生誕した。記憶力が良くて、一度目にした物は忘れないのが自慢の女の子。小学校高学年にして学び始めた歴史が彼女の中の旬のトピック。そんな幼き彼女は今、学校の人気のない廊下にて壁のシミをじっと見ていた。否、観察していた。今耳にした事実から逃れる為に。そして、今後この日を思い出す時のトリガーを用意する為に。
「君の親御さん……お母さんが乗っていた列車が」
空を、ボロロロロと低く唸りをあげながらヘリコプターが飛ぶ。今朝から今日はずっとこんな感じだ。何故だか周囲が煩い。それでも学校に行くのは変わらない日課だし、雪乃もその日々に適応していた。そう、この日までは。
「雪乃ちゃんのお母さん……」
「しっ、駄目だよ」
どう接したらいいんだろう、という顔で同級生が顔を見合わせては、教室の隅っこから雪乃を眺めていた。雪乃は何も悪い事をしていない。強いて言うなら、列車の運転手が悪い。だけどその人は死んだ。誰を恨めば良いのか、幼い雪乃には分からない。されど怖かったのだ。
「人って、こんな急に居なくなるの」
お父さんに聞いてみても、悲痛な面持ちで黙りを貫かれた。雪乃が人を救う道に進むのは、必然であった。誰かが死んだら、誰かが悲しむ。本人はもちろん。そんな悲しみを少しでも減らしたい——
「お父さん。私、医者になりたいの」
国公立の医大に行きたい、と言う雪乃を誰も止められなかった。否、あの日の悲痛を、傷を忘れない為に誰かの傷に向き合う雪乃の自傷行為を誰も止められなかった。