第20章 響箭の軍配 参
家康がそれを知ったのは、訓練へ初めて参加させた日、馬へ凪を引き上げたと同時だった。この乱世では武芸をある程度たしなんでいる女性もまあ珍しくはない。その為、深い追及をする事なく流していたのである。
「ともかく、これで見張りと合図の件は解決した。それじゃあ俺はそろそろ行きます。……凪、あんたはあまり無理しない事、いい?」
「うん、大丈夫!家康も気をつけてね」
「家康公、ご武運を」
「うるさい」
話はまとまったとばかりに家康がふと歩き出した。一度凪の傍で立ち止まり、彼女の顔へ視線をちらりと流すと念押しのように言う。未だ少なからず心配を滲ませる家康に向かい、笑みを浮かべて見せた彼女の横で、光忠が慇懃に口角を持ち上げた。凪へ向けていた視線を更にその隣の光忠へ移し、途端に半眼になった冷たい眼差しと言葉を返した家康が天幕の入り口へ向かう。その際、一度だけ光秀の方を振り返り、再び正面へ向き直った彼は、そのまま天幕内を後にしたのだった。
「………さて、俺もそろそろ向かうとしよう」
家康を見送った後、光秀がやがて静かに告げる。凪が咄嗟に顔を上げ、何かを言おうと逡巡し、口を閉ざした。その様子を視界の端に捉えた光忠は、瞼を一度伏せた後で身を翻す。
「今しばらくお待ちください。馬の用意をして参ります」
それだけを告げ、主君の返答を耳にせず天幕を後にした光忠の姿が見えなくなれば、そこの残されたのは凪と光秀の二人だけとなった。もしかしたら、わざと光忠は二人きりにさせたのだろうか。一瞬そんな事を考えた凪だったが、あの意地悪で無神経なところのある男が、そんな気を回して来るかと考え、胸中でそっと否定した。
だが、彼の本心はどうあれ、こうして少しだけでも光秀と話す時間を作ってくれた事は素直に有り難いと思う事にして、必死に思考を回した凪は、ほとんど見切り発車状態で光秀へ声をかける。
「あの!光秀さん」
どうした、といつものように応える声はない。顔だけを自らの方へ向け、無言のままに視線を向けて来た光秀の姿に、心がひくりと鈍く痛んだ。しかし、この気まずい空気のままで戦に赴いてなど欲しくはない。そう考えた彼女は、何とか二人の間の空気感を払拭しようと言葉を続ける。