第15章 躓く石も縁の端
切り立った山の上から麓の景色を眺めていた光秀の隣へ、馬を静かに駆った九兵衛が並ぶ。周辺をぐるりと回ってきたのだろう彼は、些か面持ちを厳しいものにして主君へ告げた。
手綱から手を離し、手にしていた地図を広げていた光秀は渋い顔をする九兵衛へ視線だけを流し、口元へ笑みを浮かべる。
「相手がこの地形を有利に扱える技量の持ち主であったなら、あるいは織田軍の驚異になっていたかもしれないな」
「光秀様…恐れながら、お言葉が過ぎます」
「過ぎた言葉など吐き飽きた。これまでこの小国から、何人の間者が安土へ送り込まれたと思っている?」
「……仰っしゃりたい事は、ごもっともではありますが」
主君の言い分は慇懃さを隠しもしていない。九兵衛が念の為光秀をたしなめた理由は、一応この国が織田軍の傘下であるからだが、密かな野心家である小国の大名は、三年前辺りから虎視眈々と信長の首を狙い、光秀の言う通り何人もの間者を潜り込ませて来ていた。
「往生際の悪さは、ある意味称賛に値するが、些か欲をかき過ぎたな。よりによって、あの男と組むとは。……敵ながら同情を禁じえない」
ふと口元から笑みを消し去った光秀は、油断の無い冷たい眼差しで眼下を眺める。一部が隆起した山肌は下からの見通しこそ最悪だが、上からはその限りではない。生い茂る木々は姿を隠すにはちょうど良く、まさに良くも悪くも奇襲向けの地形と言えよう。
実際の風景から紙面へ再び意識を戻し、地形の起伏を地図と照らし合わせながら記憶に刻んだ。陣を置く位置、敵が本陣を置くであろう場所、伏兵が潜みそうな場所。
それ等をひとつひとつ脳裏へ展開しながら、しばし光秀は無言を貫いた。
九兵衛はその隣へ静かに控えながら、真摯な面持ちである光秀の姿を視界へ映す。以前から怪しい動きを繰り返していた小国が、とうとう挙兵して動き出すだろう。そう告げた光秀の声は確信に満ちていた。現に部下達が調査したところ、一部で兵糧や兵力をかき集めているという噂が流れており、確かに城下では物々しい雰囲気が漂っている。