第6章 キスの味
五条家に代々伝わる婚約者の遺言は確かに大切だ。でもだからって、今、この時、死ぬかもしれないこの呪術界という特殊な世界で、あたしが気持ちを悟くんに伝えちゃいけなかった理由はある? その時が来るまで、婚約者がわかるギリギリまで愛してる人と一緒にいちゃいけなかった理由はある?
「わかりもしない未来に怯えて何もしないで今を大事にしない生き方してたら後悔するよ」
悟くんの言葉を思い出す。悟くんはこのダークな世界で生きる事をあたしなんかよりずっと知ってる。いっぱい死んだ人を、死に際の術師を見てきてる。
「何か言い残す事はあるか?」そうやって、最期の声を聞くこともあるって言ってた。きっと後悔の言葉をたくさん聞いてきた。
「そんなんじゃ夕凪は何も手に入んないよ」
ほんとにそうだ。あたしはただ受け身で、求めるってことをしなかった。それと同時に与える事もしなかった。悟くんになにひとつ与えなかった。
立場を置き換えて考えてみれば、悟くんだって今のあたしと同じ状況に立たされていたかもしれない。
もし、あたしが任務で命を落とすような事があったら、悟くんは、あたしの気持ちを、あたしの本音を、こんなに悟くんの事を好きなんだって気持ちを一言も聞けないまま、生きていかなくてはならなかった。
死んだ人は何も話さない。何を考えているのかわからない。生きていれば全て口に出さなくても、表情や雰囲気やその言葉の端々で、思いを伝えることは出来るかもしれない。
でも、死んじゃったら心の声をなにひとつ伝える事が出来ない。
そんな風に、いつまでも悟くんの心の中に、死んでしまった夕凪の呪縛を抱えたまま……夕凪は俺のことどう思ってたんだろう?って思いを抱えさせたまま、彼のその先の人生を歩ませるつもりだったの?