第10章 凍土の胎動
その声は優しく、まるで迷子を諭すようであったが、まとう気が、一瞬禍々しく淀み、全てを凍てつかせるような冷気を放った。
童磨の問いかけや様子に、静代と実田は心臓を握りつぶされるほどの圧を感じる。
その冷気は、彼が「人ならざる者」「人の手では負えぬ者」であることを改めて突きつけていた。
実田は童磨の「手を離した」という言葉に、一瞬言葉に詰まる。それは、菖蒲が彼のもとを離れ、鶴之丞の元へ嫁いだ過去の選択を指す言葉だった。
「それは、菖蒲さんがご自身で選ばれた道でした……」
実田は答えを飲み込み、視線をまっすぐ童磨に向けた。
「しかし、教祖様。あなた様以外に、あの子を助けられる方はおりません。鶴之丞の狂気と、その血筋の背負う闇は、もはや人の力でどうにかできる範疇を超えている」
実田は、静代が語った先代の事件の推測も、簡潔に童磨に伝えた。
「――先代が妾を追い、無惨な最期を遂げた事件。
そして、その妾が、あなた様の近くに匿われていたであろうこと。鶴之丞殿は、彼の父親であった先々代を襲った人ならざる力に、今も怯えています。
だからこそ、私たちにできるのは、彼が最も恐れるあなた様に、菖蒲さんを救い出していただくこと、それしかないのです!」
童磨は実田を探るように見つめ、鉄扇を広げ口元を隠す。
「そうかい…。確かに俺にも心当たりがあるなぁ…。ねぇ松乃」
松乃は口を閉ざしたまま手元を見つめている。
その様子を見た静代は、何かを確信してか目を見開く。
全てがつながり、目の前の”人ならざる者”の力とその後の菖蒲の事も想像が明確になっていく。
そして、堪えきれず、その場で深く頭を下げた。
「童磨様。わたくしは、菖蒲の師であり、親同然に育てました。あの子は、流派の存続のために、己の幸せと命を犠牲にしました。その娘の本来の願いを、どうか、聞いていただけませんか」
静代は顔を上げ、涙を滲ませた目で童磨を見つめた。
「あの子は、あなた様を心から慕っている様子でした。
流派のため、自分の使命のため、あなた様から離れたのです。ですが、今、その使命も、流派の体面も、すべてが鶴之丞によって汚され、崩れ去ろうとしています」