第70章 隔てる壁
「無事とは、どういう意味でしょうか? 生きてさえいれば、無事という意味ですか? また、あの様に傷付けられて戻ったとしても、刀さえ振れれば、それで良いと?」
伊黒も攻撃的な言葉を発した。
あまねは、柱たちからの憎しみや怒りを前に、無力感に襲われた。「お館様」なら、上手く説得出来ただろう。包み込む様な声色で、悪意を拭い去れたはずだ。
「只今戻りました」
凛とした声が響き、全員が顔を上げた。宇那手が、一切の疲れを感じさせない表情で現れたのだ。しかも、驚くべき事に、引退したはずの元炎柱を連れていた。
彼女は庭をつかつかと横切り、あまねに顔を向けた。
「其方へ上がっても宜しいですか?」
「勿論です。貴女にはその権利があります。私よりも」
あまねは大人しく場を譲った。宇那手は、覚悟を決めた表情で屋内に上がり、柱たちを見回した。
「まずはご報告を。鬼舞辻無惨は、人間の妻子の命を保証しました。此方が取引として提示した物は、水柱の命。無惨の拠点をお館様にもお伝えしない事。即ち、浅草での拠点の確保。私の血」
彼女は麗とのやり取りを全て打ち明けた。
「麗様は、鬼舞辻を鬼だと理解した上で、こう言いました。主人は、人を決して傷付けず、喰ったりはしない、と。故に鬼舞辻は、浅草を最も重要な拠点としました。陽光を避けながら、日中も活動出来る場所として。麗さんを喰わない保証として私が受け取った物は二点。浅草の、鬼舞辻の私室の鍵と、奴の根城である、無限城へ続く入り口の記された地図。地図の方は、お館様にお渡しします」
宇那手は、地図をあまねに預けた。そして、空を仰ぎ、淡く微笑んだ。
生まれは選ぶ事が出来ない。変える事も。与えられた立場を受け入れて、生きて行くしか無いのだ。
「私の血は、二つの意味で特別です。稀血の中でも、特殊な効力があります。飲んだ鬼の、記憶を呼び覚ますことが出来ます。鬼舞辻は、私の血を飲むことで、千年前の記憶を鮮明に取り戻し、自身を鬼に変えた薬の手掛かりを探っている。だから、私は生かされているのです。そしてもう一つ。私は、産屋敷家の分家の血を引いております」